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大崎地区 地域づくり事業

仁淀川町地域づくり事業(コミュニティ事業)
1,花いっぱい活動
   旧大崎小学校と吾川中学校の校庭の周りに花を植える活動です。
   学校が廃校になってから草の管理が大変で花を植える事で町を
   綺麗にと使用と立ち上げました。
   ・チュウリップ  大玉赤 500球
   ・  〃         白 100球
   ・水仙 ・・・・・・
   ・ダッチアイリス
   ・ユリ
   ・パンジービオラなどです。

2,ふれあい活動(年越しキャンドルナイト)
年越しキャンドルナイト 大崎八幡宮階段を光の参道に


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 大崎八幡宮の参道階段は大崎地区の中心に有り、182段の階段
   に大晦日キャンドルライトの火を灯して参拝いただく活動です。
12月31日大晦日午後8時~ 大崎八幡宮階段登口へ集合です。
*点灯式午後8時半~誰でも参加出来ます。
開催日: 12月31日大晦日~1月元旦新年
時間: 午後8時~集合、点灯式
場所: 仁淀川町大崎 大崎八幡宮参道階段口(国道33号)
備考: 光の階段を参拝しませんか!

*問い合わせ先: 武田勝頼土佐の会 大崎を元気にする部会  電話0889-20-2003
           会 長 岡林 照壽   担当部長 中島 道雄

主催:武田勝頼土佐の会 大崎を元気にする部会 
部長・代表の中島さんを中心に地域の皆さんを巻き込んだ活動を行います。、

花いっぱい活動は12月6日に植栽祭を行いました。
12月22日冬至の日、大崎保育所園児が参加してチュウリップの球根を植えました。
以下はその日の写真です。


大崎小学校
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12月22日冬至の日、大崎保育所の園児達の参加でチュウリップの球根を植えました。
先ずは植え方の指導から、判りましたか・・はーーい
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あらかじめ穴を空けていた処に球根を植えて土をかけています。
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上手に植えることが出来ました。ピース!
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約50っこのチュウリップの球根が植えられ、春が待ち遠しいです。有り難うございました!!!
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吾川中学校の校庭 
300個のチュウリップ・水仙・玉すだれ・草花などなどです。

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参加者は20人を越えました最高最高
     後は地域集会所で忘年会になりました。photo.htm

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12月31日大晦日  年越しキャンドルナイトのイベント
大崎八幡宮参道の階段183段に約400個のローソクが点りました。

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甲斐源氏武田氏調査・四国の武田氏NO2

甲斐源氏武田氏調査・四国の武田氏NO2
6月に続いて、11月調査(10月31日~11月4日)
高松駅で今回の案内人と打合せ(島上・藤島・早井・高木・私)
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今日の待ち合わせは「小比賀さん」と国分寺の寺で待ち合わせです。
小比賀さんは武田氏滅亡後、讃岐に入り庄屋を営まれていた。
自宅は重要文化財に指定され改装中です。
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右から二人目が小比賀氏の当主。
後ろの釣り鐘は、今夜行われる別子八郎伝説の会発足と深いいわれが有ります。
別子八郎が大蛇を退治した時にかぶっていた釣り鐘とのこと。
大蛇は長宗我部の武士を指していて、多くの犠牲者が有ったと話しです。
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家系図など資料を本に小比賀氏の伝説を聞く山梨から来られた高木氏
この土地に来て5年位で庄屋に成り、大きな屋敷が建てられた事を不思議だと発言
お金(甲州金)が持ち込まれたのではと言われていた。
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本日の最大のイベントです。
讃岐塩江・別子八郎伝説の会の発会式ハイパーリゾート・ヴィラ塩江ホテル
市議会議員・高松市塩江支所長・高松市市民政策課円座出張所長・自治会連合会長・関東地区ふるさと会会長
観光協会会長等々のメンバーで発足しました。甲斐武田を切り口に交流が広がりつつあります。
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高木氏もご挨拶、続いて私も武田勝頼土佐の会の取組を紹介
二人とも讃岐塩江・別子八郎伝説の会の顧問(特別会員)を受けました。
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続いて懇親会に参加しました。全員が自己紹介など行いつつ夜は更けました。
温泉の湯が気持ちよかったです。
(疲れから翌日高木さんは起きられず一騒動)
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2日目(11月1日)案内をいただき別子八郎伝説の史蹟を見学
長宗我部氏が阿波讃岐に侵攻したとき、村人全員が殺された、慰霊の碑を視察
戦争は何時の時代も悲惨な伝説が有ります。「鎮魂の碑」
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鎮魂の碑
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「別枝八郎大神」の碑、(別子か別枝か)意見は分かれるが、当会では別子を使う事にした。
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別子八郎の娘の墓所です。
娘は父に妖怪と間違え殺してしまった、悲しい伝説が有りました
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塩江地区文化祭にも招待を受けて見物しました。
関係者の方を紹介いただく、今後文化交流が期待できます。
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藤澤重廣 墓、藤澤氏はこの地区の城主で別子八郎が娘と一緒になって城主になったという。
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藤澤重廣墓近年この地に移されたという。
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片手石  大蛇伝説の石で別子八郎が片手で投げた伝説がある。
石には手の痕がのこっている、橋の名前も「かたていしはし」近くダムで沈むとか。
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かたていしはし
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2日目の夕方は、土地の方に招待を受けました。
さすが香川県うどん県、大きな鍋にお湯を沸かせています。
焼酎は飲み放題。ふるさと会会長さんが手打ちうどんを打っています。
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大きな鍋にお湯が沸いています。
うどんと具は投げ込まれて、みそで味付けです。
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このうどん食べ放題ですが2杯が精一杯でした。
これ、カボチャが入ると「ほうとう鍋」と一緒ではないか!
おもてなしのうどんと焼酎、地域の談話で楽しい一夜でした。
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この桜の古木、天然記念物の「姥彼岸桜」
樹齢400年位だといいます・・・ひょうたん桜と同じ品種です!
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三好長慶の生誕地・発祥の地「芝生城址」松山の藤岡氏と合流。
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調査最終日11月4日白人神社の正面神殿。
高木氏はこの後別れて山梨に帰った(帰宅は5日の朝だという)
私達は松山・高知それぞれ車で帰宅した。
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神社にある家紋「花菱家紋」だった。
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白人神社西の鳥居
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白人神社正面の鳥居、杉の大木が転倒して壊れている。昔は(道が出来る前)もっと下にあったという。
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神明神社参道の鳥居は倒木で壊れている、石段は160段有りました。きつい!
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白人神社の奥の院、神明神社:石を積み上げた社(正月に太陽が正面から差し込む、暦の遺跡ではと説明を受ける。
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四角の石積みの中に五つの祠がある。
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塩江~剣山・・・案内板
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塩江温泉の道の駅の風景
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写真中央田んぼの小山は、天正11~13年長宗我部氏の戦士の屍を葬った場所です。
地元では移動も手を付けることも恐れてそのままになっている、慰霊の必要性を思った。
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武田さんの庄屋屋敷の航空写真から。
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屋敷の外観。
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正門があった場所です。
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穴吹町口山の自宅を訪問、本日は宜しくお願いします。
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今回調査に参加した面々(高木・藤岡・島上・岡林)と武田家の現主の武田さん!
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系図を拝見、武田信虎の子、武田伸顕が脇城主になったことが書かれています。
信虎が京都にいる時期ですので、武田家滅亡より時代は古いかと、長宗我部の侵攻で死亡している。
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穴吹川を遡った集落にある、武田・・・氏の方と面談、遠祖は武田信虎の子「武田信顕は三好氏案内で脇城主になったと」
江戸期は庄屋で屋敷は相当古い、家の瓦には武田花菱家紋が有りました。
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4泊5日の行程でしたが、途中参加「武田勝頼伊予武田の会アドバイザー」藤岡氏も参加
脇町のうだつの町で一休み、脇城主の調査は次回に持ち越します。
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2015 玄蕃 武田勝頼公祭り 秋の陣

2015 玄蕃 武田勝頼公祭り 秋の陣

10月10日 天候にも恵まれ盛会の内に行われました。
小さなやまのイベントですが大きく羽ばたいて欲しいです。
第3回目の「擐甲の礼」が行われました。
擐甲の礼とは、武田家が家督をゆずる儀式を言います。
此処では、天正13年(1585)2月8日にタイムスリップして
勝頼から信勝に家督をゆずる儀式をいいます。

儀式を執り行う巫女達(美津岐夫人・檮(ゆす)姫たち)
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烏帽子が勝頼公(武田家20代当主)から信勝公(武田家21代当主)に被せられます。
甲斐武田は、土佐に来て土佐武田家として復興、長宗我部元親公より再興が許された瞬間です。
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左が勝頼公役3代目(仁淀川町社会福祉協議会職員安井氏)
右が信勝公役3代目(仁淀川町役場税務課職員鎌倉氏)
左端は丸亀城鉄砲隊隊長山本氏
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丸亀城鉄砲隊とイベントの主役勝頼公信勝公達です。
この後勝ちどきの声を行いました。エイエイオー エイエイオー エイエイオー
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三三九度・三献の義の小道具
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玄蕃祭り神事(祭神:武田勝頼公)慶長14年8月25日没
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神事終了後、玄蕃大神(勝頼公)が御輿に載せられ鳴王神社までお遊びになる。
おなばれという行列、武者行列が八幡~下山する。
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山梨放送の取材を受ける「武田勝頼土佐の会」の岡林会長
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武田家家督の継承式を祝って祝砲「丸亀城鉄砲隊」
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おなばれ巡行・武者行列が八幡宮参道を下ってくる。
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丸亀城鉄砲隊 本日三回目の演武です。
参加は4回目です。いつも迫力の有る演武、有り難う御座います。
今回は甲冑が進化していました。よく観察してみて下さい。
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戦  国  広  場 
キャラクター参加 若武者もとちか君&かつよりくん
共に土佐では戦国の時代(天正10~関ヶ原)を駆け抜けた武将です。
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今回山梨県から取材:山梨放送の記者が挨拶
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今回は夜祭りとなりました。炎と光の戦国広場を演出
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武田の里 大崎の陣 入口でツーショット
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山 田 太 鼓 演 奏
その昔、勝頼達は土佐に入国、香宗我部家を頼り山田氏と合流した伝説が有ります。
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玄蕃おどり
(天正14年6月15日大崎八幡宮建立時に奉納された踊りと言われている)
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第1回 勝頼公祭り 秋の陣 カラオケ大会
審査員の皆さん 
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カラオケ三位のこども表彰で終了しました
来年も開催しますので、後参加下さい。
イベントの写真コンテストを実施しています。締め切りは11月11日です。
写真は町の文化祭で展示します。表彰もあります。応募して下さい。
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玄蕃 武田勝頼土佐の会 大崎 秋の陣

玄蕃 武田勝頼公祭り 大崎 秋の陣

武田勝頼土佐の会のホームページ ⇐ 参照クリック

イベント会場地図、及びイベント時間割⇐クリック

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チラシ拡大PDF ⇐ クリック


2014 勝頼公祭り 秋の陣   (過去のブログ)
2013 玄蕃太鼓創立25周年記念事業 玄蕃おどり 秋の陣
2012 第1回全国武田の里サミットin土佐 (過去のブログ)
2011 秋の陣(7)/武田の里・武田勝頼ゆかりの諏訪大社正式参拝!
2010  スイーツフェス!! in 仁淀川町2010!
      勝頼伝説・イベント秋の陣”武田の里フォーラム”
2009 武田勝頼没後400年記念祭「夏の陣」
          同「秋の陣」
武田勝頼土佐の会ができるまで・・・地域支援企画員 西森





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イベントスタッフ募集中
全国の皆さん「土佐武田の里」の街おこしのイベントに参加しませんか!
1、おなばれ(御輿担ぎ・旗持ち等々)に参加
2,甲冑での擐甲の礼・武者行列等に参加
3,スッタッフ(交通整理・会場案内・受付等)に参加
4,お手伝いスタッフ(当日朝からの準備・翌日後片付け)に参加
5,申込みは武田勝頼土佐の会 事務局に電話FAX又はメール等でお申し込み下さい。

*当イベントにボランティア参加頂きました方には弁当及び参加証明書を交付致します。
  ・上記参加者は翌日後片付け後の反省会に参加が出来ます。


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第1回 玄蕃 武田勝頼公祭り 大崎 秋の陣
     写真コンテスト 作品募集案内

《 応 募 要 項 》
1.テ ー マ:玄蕃 武田勝頼公祭り 大崎秋の陣イベントで撮影したもので、祭りの主旨が判る物であれば内容は問いません。
2.主  催:武田勝頼土佐の会
3.入  賞(賞の予定は下記のとおりです)
秋の陣大賞(1点)   賞状と記念品
特 別 賞(2点)   賞状と記念品
4.審査委員:主催者理事役員の審査員で行ないます。
5.作品送付先・問い合わせ
〒781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1  武田勝頼土佐の会事務局まで 
   TELFAX 0889-20-2003  
6.締 切 日平成27年11月11日(水) 午後5時必着
7.入賞発表平成27年11月下旬(審査結果は入賞者に直接通知します。)
   *応募写真は一部仁淀川町の文化祭で展示致します。
8.応募サイズ・枚数
○カラー、モノクロともA4、四つ切り(25.4×30.5)
ないしワイド四つ(25.4×36.5) 
○出展数は1人2点以内とします。
○組み写真は不可。
9.応募上の注意
○作品は当イベントで撮影した未発表のものに限ります。
○作品の裏へ下記にある表を貼り付け、題名等の必要事項を必ず記入してください。
○入賞作品の版権・編集権は武田勝頼土佐の会に帰属します。
○応募作品は返却しません。
10.作品発表展  入賞作品を下記のところで展示発表を予定しています。
  ○仁淀川町文化祭で展示(一部)
   と き/11月20・21・22日に予定 午前9時~午後5時(3時)まで
   ところ/仁淀川町大崎  仁淀川町中央公民館(大崎)3階

・・・・・・・・・・・・・・・切り取り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第1回 玄蕃 武田勝頼公祭り 大崎秋の陣 写真コンテスト申込み書
★受付番号  受付  年  月  日
●題   名
●撮影場所          
●撮影年月日
●氏   名                   
●住   所 〒
●電話番号

武田勝頼土佐の会   電話FAX 0889-20-2003
781-1501 高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1 岡林たばこ店


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第1回 勝頼公祭り 秋の陣 カラオケ大会    
《 応 募 要 項 》
1.名 称:第1回 勝頼公祭り 秋の陣 カラオケ大会
2.主 催:武田勝頼土佐の会    協 賛:吾川歌謡クラブ
3.参加者申込み注意事項
   ・申込み方法は直接当会にお申込み下さい。FAX又はメールでも申込み出来ます。
   ・申込みは先着25名まで。
   ・申込みは、氏名・住所・曲名を記名して申込み下さい。
4.歌の内容は2コーラスまででお願いします。
   ・時間開始30分前までに会場にて受け付けして下さい、受付が無い場合は欠席とします。
5.表彰は吾川歌謡クラブ員が審査し、終了後に表彰を行います。
   ・チャンピオン賞    トロフィーを授与します。
   ・特別賞              〃
   ・敢闘賞              〃

*会場、時間及びイベント関係等はチラシ等を参照して下さい。
  参加をお待ちしています。

お問合せ:武田勝頼土佐の会 電話・FAX 0889-20-2003
                    メール kindsea@shirt.ocn.ne.jp
      

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土佐武田の里 施設整備奉基金賛金募集中

土佐武田の里 施設整備基金奉賛金募集中
趣 意 書     平成27年7月1日告示


高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1
武田勝頼土佐の会 会長 岡林照壽
電話FAX・0889 20 2003


* 天正十年中、土佐の香宗我部家を頼って土佐に落ちのびた武田勝頼公、父は甲斐の武田信玄公、母は諏訪の御寮人、時は433年余りを経過しました。
同行した三枝夫人と子供達、僧侶家臣達も土佐の山野に眠っています。
武田家は二十代の武田勝頼公(諏訪四郎神勝頼とも)を最後に終焉となっています。
土佐では武田家再興をと願っていましたが、戦国の嵐は土佐でも吹き荒れ歴史の闇に葬りさられてしまいました。近年歴史の洗い出しを行った結果、ミステリーな歴史ロマンは観光資源として地域に貢献されようとしています。
しかしながら、歴史の表からは隠れ偲んだ現状からして、史跡(墓地)等は自然石が並べられただけで、名前等の表示も無く、清和天皇を祖とする彼の武田家崇高な霊場とは言えません。
そこで、甲斐武田家の当主としての誇りを取り戻すとともに、観光史跡として恥ずかしくない史跡(墓所)を実現するために施設整備を計画致しました。
全国の武田家一統さまを始め、郷土の縁の方、及び歴史フアンに呼びかけまして、左記の歴史史跡を慰霊碑と玉垣等で整備するため奉賛金をお願いするものであります。

           記

一、 武田勝頼公、三枝夫人 慰霊碑・玉垣(鳴王神社)
二、 武田信勝公(勝頼嫡男)慰霊碑・玉垣(山の神)
三、 武田正晴公(勝頼三男)慰霊碑・玉垣(寺村観音堂) 
四、 その他施設(奉賛金募金者の碑等)



土佐武田の里施設整備基金・奉賛金について。


・施設整備奉賛金の募金活動は三ヶ年をめどに、目標額三百万とする。
・会計は、施設整備基金&武田の里準備基金特別会計をつくり管理する。
・この特別会計は、武田勝頼土佐の会の会計基準を適用する。
・募金額が超過した場合は、役員会に諮り設備の追加又は本会計に繰り入れる。
・資金が不足した場合は、役員会で諮り予算内で出来る案を決定する。

奉賛金の内容     
・奉賛金は一口一万円を原則とする。 (但し小口の募金も歓迎します。)
・玉垣の石柱に高額奉賛金募金者の名前を刻印します。
  鳴王神社(勝頼公墓所)  正面八本は一本十万円、側面八本は一本五万円
  山の神(武田信勝公墓所)  十二本は一本五万円
  寺村観音堂(武田正晴公墓所)十二本は一本五万円
・募金者奉賛碑は一口以上の者を掲載する。
     
奉賛金の郵便振替払込先
・名  義:武田勝頼土佐の会   
・口座番号:01640=0=132187


イメージ図
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勝頼ニュース2015/8  
武田勝頼土佐落人伝説ゆかりの「鳴玉神社」


本来の社号は「鳴王神社(メイオウジンジャ)」だった!
社号の謎を解いたキーワードは「柿の木


 高知県吾川郡仁淀川町の「武田勝頼土佐の会」(岡林照壽会長)では、同町大崎にある武田勝頼土佐落人伝説ゆかりの「鳴玉(ナルタマ)神社」の社号を、本来の「鳴王(メイオウ)神社」に修正することとなった。
 同会が収集していた資料の中に、昭和2年12月26日付けの土陽新聞(高知新聞の「身代わり新聞」として創刊された新聞)の「名勝史蹟・天然記念物、大藪の彼岸桜」と題する記事の中に「鳴王神社」が出ていて、それには「メイオウジンジャ」とルビが付されていたため、本来の社号は「鳴玉」なのか、「鳴王」なのかが、かねてからの課題となっていた。
 これに対して、山梨県韮崎市の「武田勝頼・新府にらさきの会」(高木智朗代表)から寄せられた「柿の木」についてのアドバイスが、課題解明への手がかりとなった。
 高木代表は「大崎玄蕃(勝頼)の系図とされる中に「(勝頼と夫人を)柿の木の下に葬る」とあるように、古い文書に木の名前が出てくるときは、それなりの意味合いがある。柿の木には、死や死者に結びつく俗信が多く、死んだ人の魂が憑依する霊木だと考えられている。また、柿の木が植えてある場所は、顕界(この世)と冥界(あの世)との境目であり、冥界への入口だともされている」という。
 つまり、柿の木がある鳴玉神社は、勝頼と夫人の墓所であり、冥界への入口だということになる。家康が死して「東照権現」と神格化され、「東照宮」が建立されたように、大崎玄蕃も埋葬の後に「玄蕃頭比古命」と神格化され、「冥王(冥界の王)」との尊称が与えられ、冥界の入口(柿の木の傍)に「冥王神社」が建てられたものと考えられる。そして、「冥王」と公言することをはばかったのか、一般の人達に読みやすくするためかわからないが、「冥王」を「鳴王」と表記したものと思われる。それが、いつの間にか、「鳴王」が「鳴玉」に読み間違えられ、一般化してしまったのではないか。
 これらの推論から、社号は「鳴王(冥王)神社」であり、「メイオウジンジャ」と音読みするのが本来であろうとの仮説を得るに至った。
 この仮説を、明治初年に内務省の布達により高知県が調査し、まとめた県下の神社の総目録であり、いわば公式記録でもある「高知県神社明細帳」で検証したところ、同明細帳にも「鳴王神社」と記載されていた。
 これによって、同会は「鳴王神社(メイオウジンジャ)」を正式社号と見なし、順次、パンフレットなどの表記も替えていくこととしている。

 なお、柿の木を霊木とする俗信は、武田勝頼の出自である信濃国(長野県)に多く、同県では「幽霊は柳の木ではなく、柿の木の下に出る」といわれている。
 また、「玉」の字も、常用漢字表外では「オウ」と音読みすることができるので、「メイオウジンジャ」は「鳴玉神社」でも、あながち間違いだとも言えない。
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