(宗)長生教 全国総本山
(宗)長生教 全国総本山
・・・ ガイドに 欠かせない宗教遺産

長生教神紋(五根梶) 長生教 ロゴマーク
長生教 総本山(ちょうせいきょう)
包括宗教法人 文部省雑宗第318号
文部大臣大達茂雄 昭和28年10月11日
入口鳥居前
笑い不動明王祠
祭礼:月次祭(毎月第二日曜日午前十一時から祭典)
〃 :春秋の大祭(4月と11月第二日曜日 〃 )
別名:ながいき教とも呼ばれている。
過去から現在まで、多くの神職さん達を輩出してきました!
若者よ古神道を全国に広めませんか、正式な神職資格が取れます。
神職資格免許取得希望者は本山に相談をして下さい。
教祖の教えを広めよう、古来から続く宗教です。
< 安心立命 延命長久 >
日々楽しく過ごせる事を誰も望んでいるはずです。<祈れくすれ>
元気で長生き<ぴんぴんころり>がモットーの教団です。
* 長生教之御札や教本(経典祝詞集・長生教おいのり・まじない本)等も販売しています。
長生教教祖正神(まさかみ)

初代管長 二代目管長 三代目管長
教祖正神は、立教会派の夢の実現に向けて戦後文部省に出向き新宗教法人法による教団の宗教法人「長生教」を興す。
遠祖は建武の時代京から来た皇室神官からは四十代・諏訪から来た大祝い神官と合体してかららは二十二代となります。
教祖正神は300年生きると宣言していた(心は今も生きていると思います) 現在管長は三代目となって居て、後継の四代目(副管長)が現在大崎八幡宮の宮司です。
社家岡林氏は建武の時代に遡ります。天正10年諏訪大祝神官と合流、以後大崎八幡宮神官二十二代目岡林正神が興した長生教です。
令和3年1月4日
長生教本院では規則を変更
公益事業墓地経営を始めました。
* 共同納骨堂「長楽廟」
<高知県指令2高西保第208号令和3年1月4日許可>
長生教々義
1,祖神は善を進め悪を懲らすの御心ぞ背く事なかれ
1,祖神は軆衣食住物皆を授けしものぞ大恩に報ゆべし
1,祖ありて己あり祖恩に報ゆべし
1,大地の人皆は祖神の神気を享て生きをるぞ兄弟と思え
1,家業怠る者は祖神の御心に背くぞ怠ることなかれ
1,戦い争いは生命を失ふ行うことなかれ
1,天照皇大神宮の御神業に背くことなかれ
1,己優れたりとて人を見下すことなかれ
右の条々常に守るべし守るべし
御神言
*吾心清々しく幸給え
(わがこころすがすがしくさきはえたまえ)
*奇神霊力居清神葉寄守給
(くすしきみたまものおりすがかみはよせてまもりたまえ)
*天照日大御神守給幸給
(あまてらすひのおおみかみまもりたまえさきはえたまえ)
<何れも繰り返し唱えれば御神徳あり>・・・合掌
三種之払(みくさのはらい)
*当神恵身為祓給清給(とうかみえみためはらいたまえきよめたまえ)
<何れの場所何れの時一心に唱えれば全てを祓い清めてくれます>
@神&魂の言葉
ー信仰は信じることに始まり 信じることに終わるー
∞ 神は宇宙の根本なり ∞<管長記>
///// *神殿は鏡なり
///// *境内は道場であり
///// *神は我が心にあり <教祖記>
○長生教之教草(おしえぐさ)昭和21年3月18日教祖記
内容は別にリンクしています。紹介の長生教おいのり集の本に記載。
全般は信心について、長生教について、後半は天照日大御神について書かれて居ます。
此の教草は長生教之興りの元を為していて教祖の宗教観・考え方思想が国に認められて神社庁から独立した教団「長生教」が認証されたと思います。又、武田勝頼が土佐に落ちて来た時側近の神官住職達の系譜も参考にされたと推察されます。
「長生教おいのり」集は、魂(心)の灯火であり、長生教の聖書と言えましょう。各自一冊お手元に置いて魂(心)の道標と致しましょう。
○ 長生教四魂論
人間の魂に四魂あり。
それは、幸霊(さきみたま)・奇霊(くしみたま)・和霊(にぎみたま)・荒霊(あらみたま)である。
霊魂は、天照日大御神の御分霊であります。
天照日大御神の御神体は大日玉で、即ち御日様であります。
その御神体に陰陽・木・火・土・金・水の大気があって、天照日大御神の陰陽の護神徳により霊魂が創られ、その魂が父の生気(心)に移り母の体内に宿るのであります。それが人間のでき始めであります。
*長生教って何処に在るの
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎33番地
奇跡の清流仁淀川の畔にあり、別称「仁淀ブルー」とも呼ばれる
北に「ひょうたん桜」勝頼お手植え伝説の姥彼岸桜(県天然記念物)
南に上久喜の「桃源郷」花桃の里が春の風物詩!
東に寺村「花の里公園」集落の高台から仁淀川が一望できる場所
西にドライブイン引地橋「花桃公園」高知松山間33号中間休憩所
町の中心地に「鳴玉神社」勝頼三枝夫人の墓所その裏手に鎮座す
*この教会「長生教」とは
県指定宗教法人「長生教本院」と同居していて変則な立場です。
遠祖は、建武の時代京の皇室の身ながら土佐に流れてきて、樅ノ木山に北斗妙見神社を建立、後に高樽の峰に遷座し「熊野神社」を建立「岡林性」を名乗ったという。その後安居宮が平に遷座「熊野神社」に神楽を伝承し今の「安居神楽」となった。
天正10年甲斐から落ち延びた武田勝頼の一族信州諏訪神社神官大祝が岡林神官と合流合体、天正14年正八幡宮の初代神官岡林甲斐守源勝貞と成る。地域で発足した「武田勝頼土佐の会」ではイベントを通じて全国に発信、2012第1回全国武田の里サミットin土佐・・擐甲の礼・・2013秋の陣・・2014秋に陣・2015秋の陣・・夏の陣を開催・・2016秋の陣・・“まいさるくガイド”等を行っている。おなばれ(御神幸)や環甲の礼(世継ぎ式)、玄蕃太鼓、宇宙桜の植樹、信勝公384年祭、・・雅楽(ガラク)・・うた様信仰ガイド・・講演会・・観光ガイド研修・・設樂原慰霊祭参加などイベントを行ってきた。
二十二代目岡林正神が長生教を興し初代教祖(管長) となる。2月には「どんど焼」・・宝物紹介などの行事を行っている。
現在八幡宮は二十五代岡林○○神官、長生教は三代目岡林○×神官となる。
長生教配下の被包括宗教法人 リンク
・・・ ガイドに 欠かせない宗教遺産


長生教神紋(五根梶) 長生教 ロゴマーク
長生教 総本山(ちょうせいきょう)
包括宗教法人 文部省雑宗第318号
文部大臣大達茂雄 昭和28年10月11日
入口鳥居前


祭礼:月次祭(毎月第二日曜日午前十一時から祭典)
〃 :春秋の大祭(4月と11月第二日曜日 〃 )
別名:ながいき教とも呼ばれている。
過去から現在まで、多くの神職さん達を輩出してきました!
若者よ古神道を全国に広めませんか、正式な神職資格が取れます。
神職資格免許取得希望者は本山に相談をして下さい。
教祖の教えを広めよう、古来から続く宗教です。
< 安心立命 延命長久 >
日々楽しく過ごせる事を誰も望んでいるはずです。<祈れくすれ>
元気で長生き<ぴんぴんころり>がモットーの教団です。
* 長生教之御札や教本(経典祝詞集・長生教おいのり・まじない本)等も販売しています。
長生教教祖正神(まさかみ)



初代管長 二代目管長 三代目管長
教祖正神は、立教会派の夢の実現に向けて戦後文部省に出向き新宗教法人法による教団の宗教法人「長生教」を興す。
遠祖は建武の時代京から来た皇室神官からは四十代・諏訪から来た大祝い神官と合体してかららは二十二代となります。
教祖正神は300年生きると宣言していた(心は今も生きていると思います) 現在管長は三代目となって居て、後継の四代目(副管長)が現在大崎八幡宮の宮司です。
社家岡林氏は建武の時代に遡ります。天正10年諏訪大祝神官と合流、以後大崎八幡宮神官二十二代目岡林正神が興した長生教です。
令和3年1月4日
長生教本院では規則を変更
公益事業墓地経営を始めました。
* 共同納骨堂「長楽廟」
<高知県指令2高西保第208号令和3年1月4日許可>
長生教々義
1,祖神は善を進め悪を懲らすの御心ぞ背く事なかれ
1,祖神は軆衣食住物皆を授けしものぞ大恩に報ゆべし
1,祖ありて己あり祖恩に報ゆべし
1,大地の人皆は祖神の神気を享て生きをるぞ兄弟と思え
1,家業怠る者は祖神の御心に背くぞ怠ることなかれ
1,戦い争いは生命を失ふ行うことなかれ
1,天照皇大神宮の御神業に背くことなかれ
1,己優れたりとて人を見下すことなかれ
右の条々常に守るべし守るべし
御神言
*吾心清々しく幸給え
(わがこころすがすがしくさきはえたまえ)
*奇神霊力居清神葉寄守給
(くすしきみたまものおりすがかみはよせてまもりたまえ)
*天照日大御神守給幸給
(あまてらすひのおおみかみまもりたまえさきはえたまえ)
<何れも繰り返し唱えれば御神徳あり>・・・合掌
三種之払(みくさのはらい)
*当神恵身為祓給清給(とうかみえみためはらいたまえきよめたまえ)
<何れの場所何れの時一心に唱えれば全てを祓い清めてくれます>
@神&魂の言葉
ー信仰は信じることに始まり 信じることに終わるー
∞ 神は宇宙の根本なり ∞<管長記>
///// *神殿は鏡なり
///// *境内は道場であり
///// *神は我が心にあり <教祖記>
○長生教之教草(おしえぐさ)昭和21年3月18日教祖記
内容は別にリンクしています。紹介の長生教おいのり集の本に記載。
全般は信心について、長生教について、後半は天照日大御神について書かれて居ます。
此の教草は長生教之興りの元を為していて教祖の宗教観・考え方思想が国に認められて神社庁から独立した教団「長生教」が認証されたと思います。又、武田勝頼が土佐に落ちて来た時側近の神官住職達の系譜も参考にされたと推察されます。
「長生教おいのり」集は、魂(心)の灯火であり、長生教の聖書と言えましょう。各自一冊お手元に置いて魂(心)の道標と致しましょう。
○ 長生教四魂論
人間の魂に四魂あり。
それは、幸霊(さきみたま)・奇霊(くしみたま)・和霊(にぎみたま)・荒霊(あらみたま)である。
霊魂は、天照日大御神の御分霊であります。
天照日大御神の御神体は大日玉で、即ち御日様であります。
その御神体に陰陽・木・火・土・金・水の大気があって、天照日大御神の陰陽の護神徳により霊魂が創られ、その魂が父の生気(心)に移り母の体内に宿るのであります。それが人間のでき始めであります。
*長生教って何処に在るの
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎33番地
奇跡の清流仁淀川の畔にあり、別称「仁淀ブルー」とも呼ばれる
北に「ひょうたん桜」勝頼お手植え伝説の姥彼岸桜(県天然記念物)
南に上久喜の「桃源郷」花桃の里が春の風物詩!
東に寺村「花の里公園」集落の高台から仁淀川が一望できる場所
西にドライブイン引地橋「花桃公園」高知松山間33号中間休憩所
町の中心地に「鳴玉神社」勝頼三枝夫人の墓所その裏手に鎮座す
*この教会「長生教」とは
県指定宗教法人「長生教本院」と同居していて変則な立場です。
遠祖は、建武の時代京の皇室の身ながら土佐に流れてきて、樅ノ木山に北斗妙見神社を建立、後に高樽の峰に遷座し「熊野神社」を建立「岡林性」を名乗ったという。その後安居宮が平に遷座「熊野神社」に神楽を伝承し今の「安居神楽」となった。
天正10年甲斐から落ち延びた武田勝頼の一族信州諏訪神社神官大祝が岡林神官と合流合体、天正14年正八幡宮の初代神官岡林甲斐守源勝貞と成る。地域で発足した「武田勝頼土佐の会」ではイベントを通じて全国に発信、2012第1回全国武田の里サミットin土佐・・擐甲の礼・・2013秋の陣・・2014秋に陣・2015秋の陣・・夏の陣を開催・・2016秋の陣・・“まいさるくガイド”等を行っている。おなばれ(御神幸)や環甲の礼(世継ぎ式)、玄蕃太鼓、宇宙桜の植樹、信勝公384年祭、・・雅楽(ガラク)・・うた様信仰ガイド・・講演会・・観光ガイド研修・・設樂原慰霊祭参加などイベントを行ってきた。
二十二代目岡林正神が長生教を興し初代教祖(管長) となる。2月には「どんど焼」・・宝物紹介などの行事を行っている。
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