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大崎八幡宮神官と、長生教

大崎八幡宮神官と、長生教・社家岡林氏(社紋:梶葉紋)
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遠祖である初代神主は山城国の北斗妙見神社、熊野神社、三社十二社大権現の神主とされ建武の時代、京の戦乱から逃れ、尊き皇族の身ながらご神体を捧持し奉り、本川村葛原に落着、ここに三大妙見社を建立、その後吾北村寺野、樅ノ木山へ分霊を勧請、社殿建立し、熊野権現の御神託があり、安居郷宮ヶ平の山中に百二社権現を祀った。この熊野神社神主が高吾北の神主として岡林姓の祖となる。


大崎八幡宮22代目神主・遠祖社家岡林氏40代目神官「岡林正神」
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社家岡林氏
岡林氏十八代(大崎八幡宮初代神主)大祝(おおいわい)甲斐守 源 勝貞
天正十一年、17代目岡林神主の時、甲斐より戦乱を逃れ来た神主(諏訪大社・武田八幡宮)である大祝源勝貞に岡林神主の娘を輿入れ。天正十四年六月十五日に武田勝頼によって建立された大崎八幡宮に甲斐より携えて来た品々を奉納された大祝源勝貞が岡林甲斐守源勝貞と変名し初代宮司となる、ここに岡林氏と大祝氏の伝統の血を受け継いだ神主が発生す。
天正十四年七月には明神社を建立し諏訪明神を勧請。(梶屋敷)
(明治の廃仏毀釈の煽りで焼かれた。長宗我部地検帳から見ると、大崎八幡宮と真東に広がる神田の間に明神社の場所が確認できる)。(御次大明神領)
代々嫡流は大祝(おおいわい)の字を冠した(家紋は梶葉紋)



下記は大崎八幡宮神官系図、昭和初期で終わっている、
武田家系図と共に某宅に保管されている、これらはそれを写真に撮って伝わる。
この後、22代目神官「岡林正神」が昭和26年に宗教法人「長生教」を興す!


左の写真は6代目から(巨勢金岡の記述)、右は全体で21代目までの系図。
tyousei00077.jpg tyousei00055.jpg 
明治政府の神社の一子相伝制の廃止から20,21代目は明治政府から派遣、
昭和初期に岡林正神が復帰する。
  
22代目 岡林正神
23代目 岡林正喜
24代目 岡林照壽
25代目 岡林 誠


大崎八幡宮の初代から6代目までを拡大

tyousei00088.jpg

・御神体12尊木造(武田家系図の末尾の欄に書かれた新羅三郎義光から4代目信義までの御内室兄弟12神?、高知県史では勝頼自ら携えてきたと・武田八幡宮から?)
・神鏡一面は剣花菱家紋の手鏡(諏訪の小坂観音院から持ち出す?)
・弊串一本(盗難?)


takeda01.jpg12尊御正体     kagami.jpg剣花菱家紋手鏡
    <何れも仁淀川町文化財指定となっている>

武田家系図の末尾の12人の名前と戒名
右の端に書かれた文書(土屋惣蔵御使者として恵林寺快川大通智勝師・宝泉寺雪峯和尚・東光寺藍田和尚・長禅寺高山和尚に示談の上改らる法名左の通り。と報告した事が書かれている)

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