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武田信勝・大崎五郎・輿左衛門・山岡勘右衛門

武田信勝は土佐で武田家の継承を行った!

擐甲の礼(世継式/大崎八幡宮)2012/10/13
第2回仁淀川子ども祭りが同時開催

時は今、天正13年(1585年)2月8日にタイムスリップして大崎の陣大崎八幡宮の境内において烏帽子親「長宗我部元親殿」をお迎えし、奉行立会人として・香宗我部親泰殿・片岡光綱殿等をも同席願い、武田家第21代当主となられる、武田信勝公の継承式「擐甲の礼」を執り行います。

・烏帽子親である長宗我部元親公より「擐甲の礼」を執り行う旨の宣告がありました。勝頼公より烏帽子が奉行役片岡光綱殿に渡される。(三枝夫人が手助け)
・片岡光綱より、武田信勝に烏帽子を載せる(三枝夫人が手助けする)
・三献の儀(三三九)三枝夫人・檮姫夫人が盃を捧げる役
 ただいま、勝頼から信勝に三献の儀の三三九度の杯の交換が行われています。

 大崎八幡宮境内の庭では静寂の中で、風そよぐ天正13年2月8日午前9時00分・粛々と継承式の儀式が行われています。
甲斐武田は、天正10年3月11日、田野の天目山で滅亡したと報じられています。しかし替え玉作戦で難を逃れた勝頼一行は、土佐の山間で土佐武田として復活しようとしています。土佐で土佐武田として生き抜く覚悟であるようであります。

 勝頼から信勝に継承された土佐武田は、長宗我部元親により武田の再興が許されようとする瞬間であります。世紀の出来事であります。


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武田信勝は、甲斐武田21代目として、土佐に復興しました。この後大崎八幡宮の神前にて、韮崎から携えてこられた武田王武大神・武田の始祖新羅三郎義光公から4代目信義に至る奥方・兄弟12尊の御正体に対しまして、武田家21代目継承式を終えたことを報告いたします。

・祝辞:長宗我部元親公(祝辞を読み上げる)「土佐に来て3年、我が長宗我部軍と戦場をともにし、今まさに四国を手中に納める時が来たこの時、武田家一族の働き実に見事なものであり感服いたし候。
天正13年2月8日此の「大崎の陣」を本拠地として「信勝」に安堵致すものである。今より吾川山荘と伊豫方面の防御に精を出すがよい。土佐武田の復興をここに宣告する、おめでとうございます。」

・祝辞 :武田勝頼公  ( 祝辞を読み上げる )
 「甲斐を逃れて3年あまり、大航海の末四国に上陸、立川の峰を越えて、香宗我部家を頼り、土佐の植田城の土居に入る、比江山掃部助の門田屋敷に世話となるが。不穏な情勢から片岡氏の所領「吾川山荘」の安居村樫山に引きこもることとなった。
 長宗我部元親軍と連携して、四国攻めに参加することとなり大崎の土地を安堵された我々は寺村に出てきて、天正13年・武田家の家臣たちの菩提を祀るため「流光山成福寺」を建立致しました。
そして天正13年2月8日大崎に出てきて、ここ大崎八幡宮境内において信勝への継承式「擐甲の礼」を執り行うことが出来ました。ひとえに元親公の心温まる沙汰であると感謝申し上げます。此を覚悟として、大崎八幡宮社殿を建立することを、神前にお誓い申し上げ奉ります」



勝頼・美津岐(三枝)夫人墓前に報告

鳴玉神社(なるたま・めいおう)柿ノ本に葬る(系図から)
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信勝の墓前に、武田家21代御館様と成られた!報告

烏帽子岩と川井土居との間に川端に森あり此の所に葬る(系図から)

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信勝について
勝頼の嫡男、母は信長の養女・遠山勘太郎友信の娘、永禄10年(1567)信濃伊那郡高遠に生まれ。寛永6年(1629)7月11日63才逝去、墓所は烏帽子岩と川井との間に川端に森あり此の所に葬る。父勝頼と共に大崎に下り山岡勘右衛門と云うと、A/C系図に書かれている。
戒名:清照院殿峯岩浄空禅定門
津野町貝ノ川(地検帳では甲斐川)に大﨑神社あり、祭神は大﨑玄蕃で最初に甲斐川に来たのが大﨑五郎衛門として祀られている。
後分家して須崎市上分横川にも分霊して祀られている。


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同時開催の第2回仁淀川こども祭り
武田信勝の墓所
    ・勝頼の嫡男、母は織田信長の養女、遠山勘太郎友信の実娘
    ・大崎五郎・大崎興左衛門・山岡勘右衛門信清等を名のる
    ・戒名  清照院殿峯岩浄空禅定門

永禄10年(1567)信濃伊那郡高遠に生まれる、寛永6年(1629)7月11日63歳逝去、墓所は烏帽子岩と川井との間に森あり此の所に葬る(系図から)

   2010年信勝の復活を墓前にて宣言
平成二十三年八月二十日(没は旧暦七月十一日)墓前において宣言する。

 今こそ立ち上がれ此の地・大崎に復活せよ  
汝は武田勝頼の嫡男で武田家の総領として永禄十年(1567年)信濃高遠に生まれる。
天正十年(1582年)武田家滅亡の節目に父勝頼と共に土佐の大崎の里に下り、名を大崎五郎・山岡勧右衛門と名乗りこの地にて父勝頼と共に活動するのであります。

土佐においては、武田家の再興を願い長宗我部氏と共に戦場を駆けめぐりども、天運我に向かず慶長五年関ヶ原を境に歴史は我に味方あらず。敗敵の汚名を着せられ一族郎党飛散逃亡の末、土佐の山間に土着するに至り、再興の夢破れ雲隠れされた汝の心図り知れず。寛永六年(1629年)旧七月十一日六十三才を限りにこの所に永眠されたのであります。

其れから三百八十二年、今一度この大崎の地に眠りから目覚め立ち上がらんとする武田信勝復活の宣言を汝に告げ申す。
 
 起き上がれ 眠りから覚めよ・夢から覚めよ・ いざ、立ち上がれ
悪霊は静まれ 悪霊は墓石の下に鎮まるがよい。鎮まれー
信勝の精霊よ 若武者の出で立ち 盾無しの鎧を受けるがよい 

 眠りから覚めよ此処「大崎の陣」に信勝が復活することを汝に告げる。 
武田家は、勝頼より此の若武者信勝に家督を譲り、第二十一代武田家当主として復活するのである。


立ち上がれ さあ立ち上がれ 孫子の風林火山の御旗を掲げよ 

風を吹かせ 雲を興せ のろしを上げろ ホラ貝を鳴らせ
復興の風を吹かせ 繁栄の雲を興せ 地域に熱い血を流せ

信勝よ、勝頼と共に白馬に乗って現れよ・・風林火山の御旗を掲げよ
風神よ雷神よいでませー 龍神は天へと昇るだろう。

大崎の町に黄金をまき散らせ 繁栄をもたらされよ。
馬上の信勝よ、臣下の武将に号令せよ 其処にいる武田家百一人の武将達に進撃の命令を発するがよい。叱咤激励を述べられよ。

大崎の陣を興せ 白馬に乗っていざ立ち上がれ 走るのだ 
「武田勝頼は土佐に健在なり」父勝頼に続け信勝 全国に発せよ

「風林火山」の御旗 いざ いざ出陣也
立ち上がれ 立ち上がれ 勝ち鬨の声を上げよ

えい・えい おー ・えい・えい おー ・えい・えい おー

平成二十三年八月二十日
武田勝頼土佐の会 会長  岡林 照壽
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