甲斐源氏武田氏調査・四国の武田氏NO2

甲斐源氏武田氏調査・四国の武田氏NO2
6月に続いて、11月調査(10月31日~11月4日)
高松駅で今回の案内人と打合せ(島上・藤島・早井・高木・私)
DSC_0922.jpg

今日の待ち合わせは「小比賀さん」と国分寺の寺で待ち合わせです。
小比賀さんは武田氏滅亡後、讃岐に入り庄屋を営まれていた。
自宅は重要文化財に指定され改装中です。
DSC01513.jpg

右から二人目が小比賀氏の当主。
後ろの釣り鐘は、今夜行われる別子八郎伝説の会発足と深いいわれが有ります。
別子八郎が大蛇を退治した時にかぶっていた釣り鐘とのこと。
大蛇は長宗我部の武士を指していて、多くの犠牲者が有ったと話しです。
DSC01516.jpg

家系図など資料を本に小比賀氏の伝説を聞く山梨から来られた高木氏
この土地に来て5年位で庄屋に成り、大きな屋敷が建てられた事を不思議だと発言
お金(甲州金)が持ち込まれたのではと言われていた。
DSC01520.jpg

本日の最大のイベントです。
讃岐塩江・別子八郎伝説の会の発会式ハイパーリゾート・ヴィラ塩江ホテル
市議会議員・高松市塩江支所長・高松市市民政策課円座出張所長・自治会連合会長・関東地区ふるさと会会長
観光協会会長等々のメンバーで発足しました。甲斐武田を切り口に交流が広がりつつあります。
DSC01524.jpg

高木氏もご挨拶、続いて私も武田勝頼土佐の会の取組を紹介
二人とも讃岐塩江・別子八郎伝説の会の顧問(特別会員)を受けました。
DSC01530.jpg

続いて懇親会に参加しました。全員が自己紹介など行いつつ夜は更けました。
温泉の湯が気持ちよかったです。
(疲れから翌日高木さんは起きられず一騒動)
DSC01533.jpg

2日目(11月1日)案内をいただき別子八郎伝説の史蹟を見学
長宗我部氏が阿波讃岐に侵攻したとき、村人全員が殺された、慰霊の碑を視察
戦争は何時の時代も悲惨な伝説が有ります。「鎮魂の碑」
DSC_0933.jpg

鎮魂の碑
DSC_0936.jpg

「別枝八郎大神」の碑、(別子か別枝か)意見は分かれるが、当会では別子を使う事にした。
DSC_0929.jpg

DSC_0931.jpg

DSC01542.jpg

DSC01544.jpg

別子八郎の娘の墓所です。
娘は父に妖怪と間違え殺してしまった、悲しい伝説が有りました
DSC01581.jpg

塩江地区文化祭にも招待を受けて見物しました。
関係者の方を紹介いただく、今後文化交流が期待できます。
DSC01555.jpg

藤澤重廣 墓、藤澤氏はこの地区の城主で別子八郎が娘と一緒になって城主になったという。
DSC01571.jpg

藤澤重廣墓近年この地に移されたという。
DSC_0938.jpg

片手石  大蛇伝説の石で別子八郎が片手で投げた伝説がある。
石には手の痕がのこっている、橋の名前も「かたていしはし」近くダムで沈むとか。
DSC01584.jpg

かたていしはし
DSC01585.jpg

2日目の夕方は、土地の方に招待を受けました。
さすが香川県うどん県、大きな鍋にお湯を沸かせています。
焼酎は飲み放題。ふるさと会会長さんが手打ちうどんを打っています。
DSC01560.jpg

大きな鍋にお湯が沸いています。
うどんと具は投げ込まれて、みそで味付けです。
DSC01561.jpg

このうどん食べ放題ですが2杯が精一杯でした。
これ、カボチャが入ると「ほうとう鍋」と一緒ではないか!
おもてなしのうどんと焼酎、地域の談話で楽しい一夜でした。
DSC01564.jpg

この桜の古木、天然記念物の「姥彼岸桜」
樹齢400年位だといいます・・・ひょうたん桜と同じ品種です!
DSC_0961.jpg

三好長慶の生誕地・発祥の地「芝生城址」松山の藤岡氏と合流。
DSC_0965.jpg

調査最終日11月4日白人神社の正面神殿。
高木氏はこの後別れて山梨に帰った(帰宅は5日の朝だという)
私達は松山・高知それぞれ車で帰宅した。
DSC_1019.jpg

神社にある家紋「花菱家紋」だった。
DSC_1020.jpg

白人神社西の鳥居
DSC_1006.jpg

白人神社正面の鳥居、杉の大木が転倒して壊れている。昔は(道が出来る前)もっと下にあったという。
DSC_1005.jpg

神明神社参道の鳥居は倒木で壊れている、石段は160段有りました。きつい!
DSC_1009.jpg

白人神社の奥の院、神明神社:石を積み上げた社(正月に太陽が正面から差し込む、暦の遺跡ではと説明を受ける。
DSC_1016.jpg
四角の石積みの中に五つの祠がある。
DSC_1014.jpg
塩江~剣山・・・案内板
DSC_1017.jpg

塩江温泉の道の駅の風景
DSC_0940.jpg

写真中央田んぼの小山は、天正11~13年長宗我部氏の戦士の屍を葬った場所です。
地元では移動も手を付けることも恐れてそのままになっている、慰霊の必要性を思った。
DSC_0944.jpg
武田さんの庄屋屋敷の航空写真から。
DSC01621.jpg
屋敷の外観。
DSC_1027.jpg
正門があった場所です。
DSC_1032.jpg

穴吹町口山の自宅を訪問、本日は宜しくお願いします。
DSC_1023.jpg

今回調査に参加した面々(高木・藤岡・島上・岡林)と武田家の現主の武田さん!
DSC01616.jpg

系図を拝見、武田信虎の子、武田伸顕が脇城主になったことが書かれています。
信虎が京都にいる時期ですので、武田家滅亡より時代は古いかと、長宗我部の侵攻で死亡している。
DSC01612.jpg

DSC_1024.jpg

穴吹川を遡った集落にある、武田・・・氏の方と面談、遠祖は武田信虎の子「武田信顕は三好氏案内で脇城主になったと」
江戸期は庄屋で屋敷は相当古い、家の瓦には武田花菱家紋が有りました。
DSC_1030.jpg

4泊5日の行程でしたが、途中参加「武田勝頼伊予武田の会アドバイザー」藤岡氏も参加
脇町のうだつの町で一休み、脇城主の調査は次回に持ち越します。
DSC_0992.jpg
関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

武田善兵衛

Author:武田善兵衛
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR