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武者行列(おなばれ)・火縄銃演舞(丸亀城鉄砲隊)

時は天正13年(1585)2月8日(系図にはこの日に着住居と)に時空を超え・戦国時代に「タイムスリップ」

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武者行列(おなばれ)・火縄銃演舞(丸亀城鉄砲隊)

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赤い御輿は美津岐(三枝夫人)様の御輿と呼ばれていて、此の御輿に鳴玉神社大神(武田勝頼公)が入って町中を巡行します。(年中行事でも有ります。武田一族関係者がこの日には参拝されます)

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甲州市勝頼公祭り実行委員会から、時空を越えて参加いだいた勝頼公(中央)、岡林源勝貞24代目(初代八幡宮神官)、長宗我部元親公(高知県歴史民俗資料館)、香宗我部親泰公(岐阜現在の末裔)、片岡光綱公(越知片岡氏末裔)等々の脇役の勢ぞろい!

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大崎八幡宮から戦国の集落(大崎)に繰り出す、武者行列(おなばれ)此より勝頼公の墓所「鳴玉神社」・及び信勝公の墓所「山の神」に向けて巡行が始まった!。

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御旅所(鳴玉神社・勝頼三枝夫人墓所)に到着、武者揃いの前で神事「大崎八幡宮神官25代目岡林誠神官」

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鳴玉神社神前に玉串を奉納する「勝頼公」

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鳴玉神社裏手・勝頼公及び三枝夫人の墓所(系図には柿ノ本に葬ると・左の柿の子)、仏式にて慰霊祭を挙行。

鳴玉(なるたま)昭和10年の土陽新聞では(めいおう)と記載、鳴玉=こよなく王を呼ぶとも

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いよいよ、本日の主役「武田信勝公の墓所」に報告に参拝!

神官による、世継ぎ式の終えられたことを墓前に報告(最終行事)が無事完了。

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今回の主催者を代表して、玉串の奉奠をさせて頂きました。

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武田信勝公の墓所(山の神)

この場所は、山の神と恐れられた場所(草木一本採っても罰があたると言われる場所で残ったかも)
別名、大崎五郎・大崎興左衛門・山岡勘右衛門と変名しています。


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御輿は半世紀の年(終戦後)を経過して、この場所に巡行することが出来ました、神社の関係者のご支援によるところが大があります。
御輿はこの後、大崎八幡宮に帰り御神体が神前にお隠れになりました。


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第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会手踊り 狩山豊年おどり保存会

•第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会 その8-1・・・戦国はし拳バトル

第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会 その8-2・・・戦国はし拳バトル

第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会 その8-3・・・戦国はし拳バトル


•第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会 その7・・・段ボール甲冑(カッチュウ)

第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会 その6-1・鉄砲隊演武(丸亀城鉄砲隊)
•第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会 その6-2・鉄砲隊演武(丸亀城鉄砲隊



第1回全国武田の里サミットin土佐「戦国会議」10.13

    「土佐武田の里・大崎の陣憲章2012」発表  会長

1 私たち武田の里は地域間連携に努めます
1 全国武田の里は特産物の相互販売に向けて努めます
1 武田の里観光連携を強化のため「武田の里巡礼の旅路」構想調査を行います
1 土佐武田の里「大崎の陣」テーマタウン構想の具現化に努めます
1 2012「土佐武田系譜」の再興と復興を表明する

        右宣言する   平成24年10月13日
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擐甲の礼「武田信勝元服・世継ぎ式」

擐甲の礼「武田信勝元服・世継ぎ式」

擐甲の礼とは:武田家では跡目継承式のことを「擐甲の礼」と言います。
本来は、盾無しの鎧(武田家では此の鎧の前で誓ったことは絶対に覆すことが出来ないと言われている)の前で、世継ぎを宣言するのが慣わし。

されど、土佐では勝頼自ら携えてきたと伝えられる大崎八幡宮の正体「武田王武大神・新羅三郎義光から四代目武田信義に至る兄弟及ぶ奥方12神」の神前に第21代当主(御館様)に成ったことを御報告致し候。

大崎八幡宮境内の出来事であります。
山梨県甲州市から「武田信勝公」、土佐は長宗我部元親公、香宗我部親泰公、吾川山荘からは片岡光綱公、遠くは長篠設楽原鉄砲隊、伊予武田家、勝頼新府にらさきの会など多くの武将の参加を頂きました。


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烏帽子親に長宗我元親公をお迎えして奉行役片岡光綱公が執行、武田家継承の儀式が粛々と執り行われました。

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烏帽子が勝頼公から、片岡光綱公に委ねられ、巫女達により、儀式が行われます。

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武田家第36代、勝頼公から17代目の現在の武田信勝公が時空を超えて誕生、土佐武田家が誕生した瞬間です。
凜々しいお姿をご覧あれ!


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時は今、天正13年(西暦1585年)2月8日大崎八幡宮の境内・神前において、山梨県甲州市武田勝頼公祭り実行委員会より武田勝頼公が、時空を超えて土佐武田の里「大崎の陣」にはせ参じ武田信勝公の世継ぎ式に参加いただきました。

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継承式を終えた「土佐武田第21代御館様の信勝公が着座。「長宗我部元親公により大崎の地を安堵された挨拶がなされる」

・祝辞:長宗我部元親公(祝辞を読み上げる)「土佐に来て3年、我が長宗我部軍と戦場をともにし、今まさに四国を手中に納める時が来たこの時、武田家一族の働き実に見事なものであり感服いたし候。
天正13年2月8日此の「大崎の陣」を本拠地として「信勝」に安堵致すものである。今より吾川山荘と伊豫方面の防御に精を出すがよい。土佐武田の復興をここに宣告する、おめでとうございます。」



又、岐阜県からは勝頼が土佐に落ち延びた時に頼ったと系図に記録された香宗我部親泰役の末裔の方が参加し儀式に華を添えていただきました。


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愛知県新城市・長篠設楽原鉄砲隊も今回甲冑で参加頂いた。

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信玄塚(一万の武田軍の戦没者慰霊塚)の追悼が地域の有志で行われています。
本年度も7月1日全国の武田家家臣団関係者と共に慰霊祭に参加しました。


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武田勝頼公「山梨県甲州市・勝頼公まつり実行委員会」から427年の時空を超えて土佐に出陣なされました!

・祝辞 :武田勝頼公  ( 祝辞を読み上げる )
 「甲斐を逃れて3年あまり、大航海の末四国に上陸、立川の峰を越えて、香宗我部家を頼り、土佐の植田城の土居に入る、比江山掃部助の門田屋敷に世話となるが。不穏な情勢から片岡氏の所領「吾川山荘」の安居村樫山に引きこもることとなった。
 長宗我部元親軍と連携して、四国攻めに参戦することとなり、大崎の土地を安堵された我々は寺村に出てきて、天正13年・武田家の家臣たちの菩提を祀るため「流光山成福寺」を建立しました。
そして天正13年2月8日大崎に出てきて、ここ大崎八幡宮境内において信勝への継承式「擐甲の礼」を執り行うことが出来ました。ひとえに元親公の心温まる沙汰であると感謝申し上げます。此を覚悟として、大崎八幡宮社殿を建立することを、神前にお誓い申し上げ奉ります」




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この後、大崎八幡宮神前において「武田王武大神・武田家元祖新羅三郎義光公から4代目武田信義公に及ぶ御内室及び兄弟12尊御正体に対して武田信勝の継承式が終えたことを報告し玉串を奉納

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丸亀城鉄砲隊により祝砲が、大崎八幡宮の境内に響き渡る!

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山梨日日新聞社記者が高知まで取材に来た!翌日の新聞

akinojin2012news1.jpg 14日付け2カ所に掲載される  akinojin2012news2.jpg
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