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土佐武田家 宝物 「大崎編」

土佐武田家 宝物 

大崎八幡宮御本尊御正体  
「武田家始祖御本尊「武田武尊」

大崎八幡宮所蔵<旧吾川村文化財指定>

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武田剣花菱家紋付き手鏡
大崎八幡宮所蔵<旧吾川村文化財指定>

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聖観音立像 木像 平安朝後期
天正13年勝頼が建立「流光山成福寺」跡(観音堂)
寺村地区所蔵<旧吾川村文化財指定>

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鳴玉神社(めいおうじんじゃ)
武田勝頼(変名大崎玄蕃)・三枝夫人(変名美津岐)夫婦の墓所
土地では「なるたまじんじゃ」と呼ぶ


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天然記念物 柿の古木 
武田家系図に慶長十四年の記録あり

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無形文化財 玄蕃おどりと踊り唄
天正十四年六月十五日大崎八幡宮建立時踊りが奉納されたと伝承

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天然記念物 大崎古城跡
慶長二十年一国一城令で取り壊されたとき大崎長門居の記録

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大崎八幡宮
古老は武田八幡宮と呼び、武田家始祖・武田勝頼・三枝夫人等を祀る

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笑い不動尊
巨勢金岡の記述が大崎八幡宮神官係図に記録

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笑い不動尊掛け軸
第39番札所 赤亀山 寺山院 延光寺所蔵<宿毛市文化財指定>
勝頼の三男正晴が宿毛平田寺山の松村家に養子の記録


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寒草城跡(かんそうじょうあと)加牟曽宇城跡
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観音様と御不動様2つの祀り

旧暦1月28日(2月27日)に行われた2つの祀り
寺村観音様と、大崎の御不動様

2つの祀りは、武田勝頼で繋がっていた。
●寺村観音堂の観音様の祀りは。

先ずは「ドダン」の祀りから始まる、午後1時から。
歴代観音様「流光山成福寺跡」の住職の墓と言われている。

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観音堂の観音様・仁淀川町文化財指定(平安朝後期)
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観音堂の後ろにある「武田正晴公の墓所」
武田正晴について(勝頼の3男・母は三枝三郎晴友の娘)
A系図から:幡多郡寺山住人松村右京の養子、元和8年(1622)壬戌10月18日卒49歳。戒名 真願院殿雲晴鏡白大居士。
B系図:幼名武田小三郎・松村六太夫、後寺村六太夫天正2年甲斐にて出生母は三枝三郎晴友の娘、父勝頼共に香宗我部家を手頼り長岡郡香美郡と廻り其の砌僧二人共奉之内にあり一人は大崎の成福寺に止まり一人は別れて幡多郡安並の石見寺に止まり住侶となる此の石見寺の世話で養子となる。
C系図から:天正2年(1574)高遠に生まれる父と共に土佐に下る幡多郡平田村松村右京源秀春の養子となる、後大崎の寺村に返る。

幡多郡平田には四国霊場39番札所延光寺が在り近くの松村家に養子に行っている。のち長宗我部氏が改易してから?寺村に帰っている。この延光寺にある掛け軸「巨勢金岡の笑い不動」以前大崎の岡林家にあり火事で一部焼けて修理に出される。その後は不明となり高知新聞に「延光寺の住職が京都の骨董屋から買ってきたと記事が載る」いわれは同じだった。
この笑い不動の祭りが大崎の「お不動さま」の祭りである。


武田正晴公の墓にお花とお餅が供えられていた。(石積)
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祭りの後のもち撒きに近傍の方達が集まっていた。

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直来が屯所の2回で行われた、此の場所は明治5年に取り壊された流光山成福寺の本堂が在ったところです。
武田家の菩提寺で系図には末裔の家に信玄達の位牌があったと書かれている事から、信玄達の位牌があったと思われます。勝頼の戒名が「成福院殿榮秋道勝大居士」成福院殿からもこの寺に祀られていたと思われます。

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大崎のお不動さまの祠
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岡林家に伝わる伝承から祭りが行われています。
新聞の記事から写真を撮るが判らない。(この写真上下反対)
最近平成26年高知新聞から、いまは撮影禁止!
(笑い不動掛け軸・宿毛市文化財)

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安居神楽と熊野神社神官岡林氏

安居神楽と熊野神社神官岡林氏

熊野神社神楽奉納・ハ所河内神社と隔年で奉納 12月12日
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長生教(ちょうせいきょう)社家(しゃけ)岡林家

由  緒

遠祖である初代神主は山城国の北斗妙見神社、熊野神社、三社十二社大権現の神主とされ、建武の時代京の戦乱から逃れ尊き皇族の身ながら御神体を捧持し奉り、吉野川を遡行して本川村葛原に落着、此処に三大妙見社を建立、後吾北村寺野樅ノ木山へ分霊を勧請社殿建立、熊野権現は樅木山高樽の峰に遷座、後御神託があり安居郷宮ヶ平の山中に百二社権現を祀った。この熊野神社神主が高吾北の神主として岡林姓の祖となる。

12月12日安居熊野神社(百二社権現)マイ孫のデビュー
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嫡流の家が代々神主を世襲(代々の系図は明治四年の火災で焼失す)
十八代(大崎八幡宮初代)大祝 甲斐守源勝貞(家紋は梶葉紋)
天正十一年十七代目岡林神主の時、信州より戦乱を逃れ来た神主(諏訪大明神社)である大祝源勝貞に岡林神主の娘を輿入れする。

梶葉紋
 
天正十四年六月十五日に大崎玄蕃(武田勝頼)によって建立された川井神社(現大崎八幡宮)に甲斐より携えて来た品々を奉納された大祝氏の大祝源勝貞が岡林甲斐守源勝貞と変名し初代宮司となる、ここに岡林氏と大祝氏の伝統の血を受け継いだ神主が発生する。
天正十四年七月梶屋敷に御次(みつぎ)明神社を建立し諏訪大明神を勧請した。
大崎八幡宮二十二代目神主岡林正神が昭和二十八年(宗)長生教を興す。

長生教教祖岡林正神(22代目大崎八幡宮神官)
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長生教神社御霊殿の戦没者名簿の一番目に"武田信勝が祀られている">武田信勝が祀られている。
(武田勝頼の嫡男、武田信玄・織田信長の孫、大崎の小森に墓所があります)

長生教の神楽(引地の神祭11月27日)
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わっはー はー はー はー はーー
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あとがき
岡林家由来については、大崎八幡宮神主系図、岡林家系図、安居神楽伝承記、神社明細帳、玄蕃祭伝承記、皆山集など史料、岡林家に伝わる遺物・遺品などを参考とし私見を少し交えて述べました。研究不充分の上、誤りもあるかと思いますが、なお後世の訂正を俟つことに致します。
 代々受け継がれてきた血脈が続いておる家系といのは滅多に存在しない、さらには平家の物語や土佐に落ち延びた武田勝頼の伝説の継承、他に例をみない玄蕃祭や祭祀を現在まで連綿と続けて来たことにまことに驚くべきことである。 他地域とは隔絶した風土が日本全国の中でもとりわけ古い伝統文化を残して来たものと考えられる。
        
      記 平成11年6月15日 尾崎福正 より
        
        

平成25年度 第24回設楽原決戦場まつり

平成25年度 第24回設楽原決戦場まつり

愛知県新城市 長篠設楽原古戦場 慰霊祭に参加

  <写真は同行藤岡氏の許可を得て掲載しています。>

信玄塚(長篠の戦い戦没者)の墓前に「玄蕃おどり」を奉納しました。
玄蕃おどりとは:天正14年6月15日大崎八幡宮建立落成の時奉納した「手おどり」です。
手踊りとは:仁淀川流域に残された古い豊年踊りの一種です。


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写真は、7月7日行われた第24回設楽原決戦場まつりに参加した時「信玄塚」に奉納した「玄蕃おどり、と参加者達です」韮崎武田旧温の会山本会長との記念写真。

信玄塚の階段中段に「鳴玉神社」の写真を掲示(武田勝頼の墓所)、慰霊祭にも私の胸に抱かれて参拝・焼香をしました。

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歌い手は会長、太鼓は千佐子さん、踊りは藤岡さん。会員達dc070879.jpg

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白山神社と菊理姫(ククリヒメ)

白山神社と菊理姫の史跡調査

平成23年7月17日加枝地区神祭の準備に参加 
場所:高知県仁淀川町加枝地区の氏神「白山(しらやま)神社」


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昭和56年に鎮座200年・たる山神社合祀110年記念碑が建立されている。
(たる山のたる:さんずいに垂れると書く)

この「たる山神社」は、高樽山の神社と同じ神様では無いか。

*安居神楽本の中の「熊野神社由来記」から
その昔、建武中興の大業再び崩れんとする延元元年(1336)神社仏閣の戦火に見舞われ、聖城の汚れるを悲しみ給い、山城の国北斗妙見神社、熊野神社、三社十二社大権現の神主は尊き皇族の御身乍らも、御神体を捧持し奉り御鎮座の地を求めて、遠国土佐の国は吾川郡小川村(旧吾北村)樅木山に落ちのび給い、北斗妙見神社を同地に鎮座し奉り、熊野権現は樅木山高樽の峰に遷座され、其の地を永住の地とされ、神社祭祀に当たらせ給ふ。
その後、熊野権現の御神宣あり。
われ行く先は何時迄も氏子を守る土地也、と八咫烏となり、金色の光を放ち御幣に乗らせ給いて、いずことなく飛び去られた。
神主はその跡を慕い奉り尋ね来た土地が、今の安居郷宮ヶ平の山中であった。
その時御幣が百二社権現と祭り、大山祇の神を合祭して熊野権現として奉仕したと伝えられている。
この頃より神楽を舞って神慮を慰め奉ったといわれている。

安居神楽大夫由来記
吾川郡小川村樅木山鎮座 北斗妙見神社神主は、建武の昔都をのがれ、樅木山に落ち給い、京都より奉持した氏神を樅ノ木山に祭り、安住の地とされた、その後子孫は繁栄して、新別、高樽に分かれ岡林姓の祖となった
・・・・・・・つづく  


白山神社(しらやま)鎮座200年祈念碑
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白山(はくさん)神社の祭神は一般的には菊理姫神(くくりひめのかみ)ですが、此処の白山(しらやま)神社は大山昨命(おおやまくひのみこと)大神が祀られていました。
平成23年7月20日神事(神祭)での調査で祭神が判明
・昭和56年に鎮座200年・たる山神社合祀110年記念碑が建立span>

・平成23年7月20日神事(神祭)での調査で祭神が判明

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*主祭神 大山昨命(おおやまくいのみこと)
*創 立 安永九年(1780)
*古来久喜村の内 加枝産土神
*中古白山大権現と称す  (明治九年に改称)

藤原氏の日記から
・加枝が七屋敷の時、奥の御山から山爺 媼婆様が出てきて村人を集めて神を祭る方式を教えた。
・まず天津神国津神を高神様と称し七屋敷に祀り来たれる親神と大山祇の神を合わせ祀りて氏神とし白山権現と祝い祀る。 
・奥の御山に峯の王神谷の王神をたる山権現と崇め祭り、又此の土地に先住して土地開墾に功労ある人々の霊を地主権現と祭り従来より祭れる白皇権現小手神宮を氏神の摂社末社とし尚も山の神を祭る。
以上が調査の結果です。
@七屋敷の親神は何者か、先住を祭るということは先住者を排除した人達だという事になるのだろうか?
大山祇の神は白山神社の神と同じ神と言われている(菊理姫を指してる)、また媼婆は谷の王と菊理姫と同じ神格では無いでしょうか(白竜に乗った菊理姫の姿を想像)

武田八幡宮(山梨県韮崎)の山手に有る白山神社(しろやま)、
此処に武田信義が城を築き甲斐武田発祥の地と成りました。
<武田八幡宮 韮崎市>
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大崎の里にきて、大崎八幡宮の南に鳴無神社(おとなし・祭神が「菊理姫神」です)白山神社が合祀されていたのではないか、今は向口地区・古来は久喜村の内 加枝産土神で安永九年(1780)に山を越えて加枝の産土神と成ったのではないか。

<大崎氏の祠・加枝集落最上部に鎮座>
大崎一族(長門守は桜→藤の野→向口→加枝)がたどった所に白山神社の臭いがする!
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<右手が大崎八幡宮・手前が大崎の街・前方霧の中に鳴無神社>
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<土佐山田大法寺の横にある白山神社>
勝頼が最初に居住した土佐山田の大法寺の隣に白山神社が有ります。
 
     
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<山田大宝寺にある武田四郎勝頼の墓・武田神社>
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<越知町佐の国白山神社>
関ヶ原後、逃亡飛散した大崎氏一族(武田一族)が一旦潜伏したと言われる「佐の国」にある白山神社

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<佐の国から葉山・貝(甲斐)の川に移住した大崎神社>
祭神が「大崎玄蕃」、甲斐の川に最初に来た人物が「大崎五郎衛門」信勝ではないかという。
武田信勝は大崎に来て「大崎五郎」と名乗る。系図から
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<仁淀川町加枝白山神社>
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菊理姫神は、加賀(石川県)の霊峰白山を御神体とする白山比売神社の祭神で、古来、人々から 「いのちの親神」と崇敬されてきた女神である。 一説に白山神は大山祗神ではないかともいわれるように、菊理姫神はその本源として山の神の神格を持っている。 山は神霊の宿るところ。 山は水源であり、その水泊だって水田を潤し穀物を実らせる。 それ故に農業の守護神としてそのパワーを発揮する神と言われています。

プロフィール

武田善兵衛

Author:武田善兵衛
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