武田の里 大崎の陣 “まいさるく”生天目の陣
武田の里 大崎の陣 “まいさるく” 生天目の陣
土佐武田
甲斐武田
社家岡林






土佐 甲斐 安芸 諏訪 越知平家 長宗我部

リンク案内
長生教 大崎八幡宮 鳴王神社 流光山成福寺 武田勝頼 武田信勝 武田正晴 武田雅楽 香宗我部
仁淀川町 観光協会 イベント案内 講演会案内 会員募集 資料販売 歴史資料館「かつより 安居神楽 勝頼宝物 玄蕃太鼓 玄蕃踊り 武者行列 擐甲の礼 地域づくり活動 ひょうたん桜 彦根城安土城 伊予武田 甲州軍団
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1
武田勝頼土佐の会 電話0889-20-2003
メールkindsea@shirt.ocn.ne.jp
目 次
2008平成20年 武田勝頼土佐の会発足
2009平成21年 かつよりくん弁当創作コンテスト・イベント始まり
2010平成22年 武田の里フォーラムin仁淀川町 スイートフェス創作コンテスト
2011平成23年 韮崎市「韮崎ふるさと祭」土佐日曜市<武田八幡宮・諏訪大社・小坂観音院>
2012平成24年 全国武田の里サミットin土佐::戦国会議・秋の陣・秋の陣2・IN信玄公祭
2013平成25年 新城市第24回設楽原決戦場祭り ・決戦場祭り2・武田雅楽の調査
2014平成26年 新城市第25回設樂原決戦場祭り:秋の陣 玄蕃勝頼公祭//野中兼山仏像発表会
2015平成27年 全国武田家調査其の1・生天目の陣四国 其の2・秋の陣勝頼公祭り
2016平成28年 新城市第27回設樂原決戦場祭り・・・歴史講演会
2017平成29年 新城市第28回設樂原決戦場祭り 野中兼山と谷秦山の妾と子供 彦根城安土城
2018平成30年 新城市第29回設楽原決戦場祭り顧問代理参加
2019令和元年 勝頼の墓所玉垣落成
2020令和2年 武田の里トップ画面 大崎の陣
2021令和3年 鳴玉神社(鳴王神社)扁額
2022令和4年 信玄公生誕500年イベント<in 長野・山梨・静岡>
包括宗教法人「長生教」全国総本山<大崎八幡宮神官の社家・諏訪神社神官>勝頼に同行した神官
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎33番地
長生教被包括宗教法人 神道四魂論 長生教教草 長生教御札 共同納骨堂「長楽廟」 どんど焼き
公認:長生教ホームページ
土佐武田









土佐 甲斐 安芸 諏訪 越知平家 長宗我部

リンク案内
長生教 大崎八幡宮 鳴王神社 流光山成福寺 武田勝頼 武田信勝 武田正晴 武田雅楽 香宗我部
仁淀川町 観光協会 イベント案内 講演会案内 会員募集 資料販売 歴史資料館「かつより 安居神楽 勝頼宝物 玄蕃太鼓 玄蕃踊り 武者行列 擐甲の礼 地域づくり活動 ひょうたん桜 彦根城安土城 伊予武田 甲州軍団
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1
武田勝頼土佐の会 電話0889-20-2003
メールkindsea@shirt.ocn.ne.jp
目 次
2008平成20年 武田勝頼土佐の会発足
2009平成21年 かつよりくん弁当創作コンテスト・イベント始まり
2010平成22年 武田の里フォーラムin仁淀川町 スイートフェス創作コンテスト
2011平成23年 韮崎市「韮崎ふるさと祭」土佐日曜市<武田八幡宮・諏訪大社・小坂観音院>
2012平成24年 全国武田の里サミットin土佐::戦国会議・秋の陣・秋の陣2・IN信玄公祭
2013平成25年 新城市第24回設楽原決戦場祭り ・決戦場祭り2・武田雅楽の調査
2014平成26年 新城市第25回設樂原決戦場祭り:秋の陣 玄蕃勝頼公祭//野中兼山仏像発表会
2015平成27年 全国武田家調査其の1・生天目の陣四国 其の2・秋の陣勝頼公祭り
2016平成28年 新城市第27回設樂原決戦場祭り・・・歴史講演会
2017平成29年 新城市第28回設樂原決戦場祭り 野中兼山と谷秦山の妾と子供 彦根城安土城
2018平成30年 新城市第29回設楽原決戦場祭り顧問代理参加
2019令和元年 勝頼の墓所玉垣落成
2020令和2年 武田の里トップ画面 大崎の陣
2021令和3年 鳴玉神社(鳴王神社)扁額
2022令和4年 信玄公生誕500年イベント<in 長野・山梨・静岡>
包括宗教法人「長生教」全国総本山<大崎八幡宮神官の社家・諏訪神社神官>勝頼に同行した神官
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎33番地
長生教被包括宗教法人 神道四魂論 長生教教草 長生教御札 共同納骨堂「長楽廟」 どんど焼き
公認:長生教ホームページ
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歴史資料館 かつより
(宗)長生教 全国総本山
(宗)長生教 全国総本山
・・・ ガイドに 欠かせない宗教遺産

長生教神紋(五根梶) 長生教 ロゴマーク
長生教 総本山(ちょうせいきょう)
包括宗教法人 文部省雑宗第318号
文部大臣大達茂雄 昭和28年10月11日
入口鳥居前
笑い不動明王祠
祭礼:月次祭(毎月第二日曜日午前十一時から祭典)
〃 :春秋の大祭(4月と11月第二日曜日 〃 )
別名:ながいき教とも呼ばれている。
過去から現在まで、多くの神職さん達を輩出してきました!
若者よ古神道を全国に広めませんか、正式な神職資格が取れます。
神職資格免許取得希望者は本山に相談をして下さい。
教祖の教えを広めよう、古来から続く宗教です。
< 安心立命 延命長久 >
日々楽しく過ごせる事を誰も望んでいるはずです。<祈れくすれ>
元気で長生き<ぴんぴんころり>がモットーの教団です。
* 長生教之御札や教本(経典祝詞集・長生教おいのり・まじない本)等も販売しています。
長生教教祖正神(まさかみ)

初代管長 二代目管長 三代目管長
教祖正神は、立教会派の夢の実現に向けて戦後文部省に出向き新宗教法人法による教団の宗教法人「長生教」を興す。
遠祖は建武の時代京から来た皇室神官からは四十代・諏訪から来た大祝い神官と合体してかららは二十二代となります。
教祖正神は300年生きると宣言していた(心は今も生きていると思います) 現在管長は三代目となって居て、後継の四代目(副管長)が現在大崎八幡宮の宮司です。
社家岡林氏は建武の時代に遡ります。天正10年諏訪大祝神官と合流、以後大崎八幡宮神官二十二代目岡林正神が興した長生教です。
令和3年1月4日
長生教本院では規則を変更
公益事業墓地経営を始めました。
* 共同納骨堂「長楽廟」
<高知県指令2高西保第208号令和3年1月4日許可>
長生教々義
1,祖神は善を進め悪を懲らすの御心ぞ背く事なかれ
1,祖神は軆衣食住物皆を授けしものぞ大恩に報ゆべし
1,祖ありて己あり祖恩に報ゆべし
1,大地の人皆は祖神の神気を享て生きをるぞ兄弟と思え
1,家業怠る者は祖神の御心に背くぞ怠ることなかれ
1,戦い争いは生命を失ふ行うことなかれ
1,天照皇大神宮の御神業に背くことなかれ
1,己優れたりとて人を見下すことなかれ
右の条々常に守るべし守るべし
御神言
*吾心清々しく幸給え
(わがこころすがすがしくさきはえたまえ)
*奇神霊力居清神葉寄守給
(くすしきみたまものおりすがかみはよせてまもりたまえ)
*天照日大御神守給幸給
(あまてらすひのおおみかみまもりたまえさきはえたまえ)
<何れも繰り返し唱えれば御神徳あり>・・・合掌
三種之払(みくさのはらい)
*当神恵身為祓給清給(とうかみえみためはらいたまえきよめたまえ)
<何れの場所何れの時一心に唱えれば全てを祓い清めてくれます>
@神&魂の言葉
ー信仰は信じることに始まり 信じることに終わるー
∞ 神は宇宙の根本なり ∞<管長記>
///// *神殿は鏡なり
///// *境内は道場であり
///// *神は我が心にあり <教祖記>
○長生教之教草(おしえぐさ)昭和21年3月18日教祖記
内容は別にリンクしています。紹介の長生教おいのり集の本に記載。
全般は信心について、長生教について、後半は天照日大御神について書かれて居ます。
此の教草は長生教之興りの元を為していて教祖の宗教観・考え方思想が国に認められて神社庁から独立した教団「長生教」が認証されたと思います。又、武田勝頼が土佐に落ちて来た時側近の神官住職達の系譜も参考にされたと推察されます。
「長生教おいのり」集は、魂(心)の灯火であり、長生教の聖書と言えましょう。各自一冊お手元に置いて魂(心)の道標と致しましょう。
○ 長生教四魂論
人間の魂に四魂あり。
それは、幸霊(さきみたま)・奇霊(くしみたま)・和霊(にぎみたま)・荒霊(あらみたま)である。
霊魂は、天照日大御神の御分霊であります。
天照日大御神の御神体は大日玉で、即ち御日様であります。
その御神体に陰陽・木・火・土・金・水の大気があって、天照日大御神の陰陽の護神徳により霊魂が創られ、その魂が父の生気(心)に移り母の体内に宿るのであります。それが人間のでき始めであります。
*長生教って何処に在るの
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎33番地
奇跡の清流仁淀川の畔にあり、別称「仁淀ブルー」とも呼ばれる
北に「ひょうたん桜」勝頼お手植え伝説の姥彼岸桜(県天然記念物)
南に上久喜の「桃源郷」花桃の里が春の風物詩!
東に寺村「花の里公園」集落の高台から仁淀川が一望できる場所
西にドライブイン引地橋「花桃公園」高知松山間33号中間休憩所
町の中心地に「鳴玉神社」勝頼三枝夫人の墓所その裏手に鎮座す
*この教会「長生教」とは
県指定宗教法人「長生教本院」と同居していて変則な立場です。
遠祖は、建武の時代京の皇室の身ながら土佐に流れてきて、樅ノ木山に北斗妙見神社を建立、後に高樽の峰に遷座し「熊野神社」を建立「岡林性」を名乗ったという。その後安居宮が平に遷座「熊野神社」に神楽を伝承し今の「安居神楽」となった。
天正10年甲斐から落ち延びた武田勝頼の一族信州諏訪神社神官大祝が岡林神官と合流合体、天正14年正八幡宮の初代神官岡林甲斐守源勝貞と成る。地域で発足した「武田勝頼土佐の会」ではイベントを通じて全国に発信、2012第1回全国武田の里サミットin土佐・・擐甲の礼・・2013秋の陣・・2014秋に陣・2015秋の陣・・夏の陣を開催・・2016秋の陣・・“まいさるくガイド”等を行っている。おなばれ(御神幸)や環甲の礼(世継ぎ式)、玄蕃太鼓、宇宙桜の植樹、信勝公384年祭、・・雅楽(ガラク)・・うた様信仰ガイド・・講演会・・観光ガイド研修・・設樂原慰霊祭参加などイベントを行ってきた。
二十二代目岡林正神が長生教を興し初代教祖(管長) となる。2月には「どんど焼」・・宝物紹介などの行事を行っている。
現在八幡宮は二十五代岡林○○神官、長生教は三代目岡林○×神官となる。
長生教配下の被包括宗教法人 リンク
・・・ ガイドに 欠かせない宗教遺産


長生教神紋(五根梶) 長生教 ロゴマーク
長生教 総本山(ちょうせいきょう)
包括宗教法人 文部省雑宗第318号
文部大臣大達茂雄 昭和28年10月11日
入口鳥居前


祭礼:月次祭(毎月第二日曜日午前十一時から祭典)
〃 :春秋の大祭(4月と11月第二日曜日 〃 )
別名:ながいき教とも呼ばれている。
過去から現在まで、多くの神職さん達を輩出してきました!
若者よ古神道を全国に広めませんか、正式な神職資格が取れます。
神職資格免許取得希望者は本山に相談をして下さい。
教祖の教えを広めよう、古来から続く宗教です。
< 安心立命 延命長久 >
日々楽しく過ごせる事を誰も望んでいるはずです。<祈れくすれ>
元気で長生き<ぴんぴんころり>がモットーの教団です。
* 長生教之御札や教本(経典祝詞集・長生教おいのり・まじない本)等も販売しています。
長生教教祖正神(まさかみ)



初代管長 二代目管長 三代目管長
教祖正神は、立教会派の夢の実現に向けて戦後文部省に出向き新宗教法人法による教団の宗教法人「長生教」を興す。
遠祖は建武の時代京から来た皇室神官からは四十代・諏訪から来た大祝い神官と合体してかららは二十二代となります。
教祖正神は300年生きると宣言していた(心は今も生きていると思います) 現在管長は三代目となって居て、後継の四代目(副管長)が現在大崎八幡宮の宮司です。
社家岡林氏は建武の時代に遡ります。天正10年諏訪大祝神官と合流、以後大崎八幡宮神官二十二代目岡林正神が興した長生教です。
令和3年1月4日
長生教本院では規則を変更
公益事業墓地経営を始めました。
* 共同納骨堂「長楽廟」
<高知県指令2高西保第208号令和3年1月4日許可>
長生教々義
1,祖神は善を進め悪を懲らすの御心ぞ背く事なかれ
1,祖神は軆衣食住物皆を授けしものぞ大恩に報ゆべし
1,祖ありて己あり祖恩に報ゆべし
1,大地の人皆は祖神の神気を享て生きをるぞ兄弟と思え
1,家業怠る者は祖神の御心に背くぞ怠ることなかれ
1,戦い争いは生命を失ふ行うことなかれ
1,天照皇大神宮の御神業に背くことなかれ
1,己優れたりとて人を見下すことなかれ
右の条々常に守るべし守るべし
御神言
*吾心清々しく幸給え
(わがこころすがすがしくさきはえたまえ)
*奇神霊力居清神葉寄守給
(くすしきみたまものおりすがかみはよせてまもりたまえ)
*天照日大御神守給幸給
(あまてらすひのおおみかみまもりたまえさきはえたまえ)
<何れも繰り返し唱えれば御神徳あり>・・・合掌
三種之払(みくさのはらい)
*当神恵身為祓給清給(とうかみえみためはらいたまえきよめたまえ)
<何れの場所何れの時一心に唱えれば全てを祓い清めてくれます>
@神&魂の言葉
ー信仰は信じることに始まり 信じることに終わるー
∞ 神は宇宙の根本なり ∞<管長記>
///// *神殿は鏡なり
///// *境内は道場であり
///// *神は我が心にあり <教祖記>
○長生教之教草(おしえぐさ)昭和21年3月18日教祖記
内容は別にリンクしています。紹介の長生教おいのり集の本に記載。
全般は信心について、長生教について、後半は天照日大御神について書かれて居ます。
此の教草は長生教之興りの元を為していて教祖の宗教観・考え方思想が国に認められて神社庁から独立した教団「長生教」が認証されたと思います。又、武田勝頼が土佐に落ちて来た時側近の神官住職達の系譜も参考にされたと推察されます。
「長生教おいのり」集は、魂(心)の灯火であり、長生教の聖書と言えましょう。各自一冊お手元に置いて魂(心)の道標と致しましょう。
○ 長生教四魂論
人間の魂に四魂あり。
それは、幸霊(さきみたま)・奇霊(くしみたま)・和霊(にぎみたま)・荒霊(あらみたま)である。
霊魂は、天照日大御神の御分霊であります。
天照日大御神の御神体は大日玉で、即ち御日様であります。
その御神体に陰陽・木・火・土・金・水の大気があって、天照日大御神の陰陽の護神徳により霊魂が創られ、その魂が父の生気(心)に移り母の体内に宿るのであります。それが人間のでき始めであります。
*長生教って何処に在るの
781-1501高知県吾川郡仁淀川町大崎33番地
奇跡の清流仁淀川の畔にあり、別称「仁淀ブルー」とも呼ばれる
北に「ひょうたん桜」勝頼お手植え伝説の姥彼岸桜(県天然記念物)
南に上久喜の「桃源郷」花桃の里が春の風物詩!
東に寺村「花の里公園」集落の高台から仁淀川が一望できる場所
西にドライブイン引地橋「花桃公園」高知松山間33号中間休憩所
町の中心地に「鳴玉神社」勝頼三枝夫人の墓所その裏手に鎮座す
*この教会「長生教」とは
県指定宗教法人「長生教本院」と同居していて変則な立場です。
遠祖は、建武の時代京の皇室の身ながら土佐に流れてきて、樅ノ木山に北斗妙見神社を建立、後に高樽の峰に遷座し「熊野神社」を建立「岡林性」を名乗ったという。その後安居宮が平に遷座「熊野神社」に神楽を伝承し今の「安居神楽」となった。
天正10年甲斐から落ち延びた武田勝頼の一族信州諏訪神社神官大祝が岡林神官と合流合体、天正14年正八幡宮の初代神官岡林甲斐守源勝貞と成る。地域で発足した「武田勝頼土佐の会」ではイベントを通じて全国に発信、2012第1回全国武田の里サミットin土佐・・擐甲の礼・・2013秋の陣・・2014秋に陣・2015秋の陣・・夏の陣を開催・・2016秋の陣・・“まいさるくガイド”等を行っている。おなばれ(御神幸)や環甲の礼(世継ぎ式)、玄蕃太鼓、宇宙桜の植樹、信勝公384年祭、・・雅楽(ガラク)・・うた様信仰ガイド・・講演会・・観光ガイド研修・・設樂原慰霊祭参加などイベントを行ってきた。
二十二代目岡林正神が長生教を興し初代教祖(管長) となる。2月には「どんど焼」・・宝物紹介などの行事を行っている。
現在八幡宮は二十五代岡林○○神官、長生教は三代目岡林○×神官となる。
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2011韮崎市ふるさと祭り参上
2011韮崎市ふるさと祭り参上
高知県仁淀川町大崎を夜中の12字に出発

韮崎市武田八幡宮12時に到着12時間の行程でした運転手の安部さんご苦労さんです。

武田八幡宮では韮崎の会員(勝頼新府にらさきの会)達が大勢で歓迎
社務所内に席を準備歓迎の弁当を頂きました。



玄蕃祭りで作る花と全く同じ造りでした。

小林さん



武田八幡宮での正式参拝「玄蕃太鼓の法被」姿
神楽殿:本日はこの後苦にして「安居神楽」を奉納します。

鳳凰山願成寺「武田信義の墓」甲斐武田家の元祖

住職の講話を頂く皆感激しました。

韮崎:土佐 交流講演会 韮崎市民ふれあい館


宿舎清水屋での交流歓迎会



韮崎ふるさと祭「土佐の日曜市」店舗開設土佐の物産市を開く

玄蕃踊り披露「商店街通りの会場」


韮崎ふるさと祭メイン会場 私達も壇上に上がり挨拶を行う

韮崎市市長に仁淀川町町長の親書を竹本企画課長が読み上げて渡しました。


韮崎を去る時が来ました「山本会長、小林副会長」バスまでお見送りにお土産
お世話になりました。又来ます。

「諏訪大社」上社正式参拝


諏訪大社門前にて祈念写真

長野県岡谷市諏訪小坂観音院「中島住職が出迎え」山門にて。


由布姫の慰霊塔「慰霊祭」を行った。


後は夕食諏訪神社の御柱木遣り保存会の余興
住職達も一緒に楽しい夜を過ごしました。


翌日は諏訪大社と御柱坂落としの場所に見学


この日は昼すぎから帰宅になりました。皆さんお疲れさん
帰りは夜中の12時を過ぎていました。

高知県仁淀川町大崎を夜中の12字に出発


韮崎市武田八幡宮12時に到着12時間の行程でした運転手の安部さんご苦労さんです。

武田八幡宮では韮崎の会員(勝頼新府にらさきの会)達が大勢で歓迎
社務所内に席を準備歓迎の弁当を頂きました。



玄蕃祭りで作る花と全く同じ造りでした。

小林さん






武田八幡宮での正式参拝「玄蕃太鼓の法被」姿



神楽殿:本日はこの後苦にして「安居神楽」を奉納します。




鳳凰山願成寺「武田信義の墓」甲斐武田家の元祖


住職の講話を頂く皆感激しました。

韮崎:土佐 交流講演会 韮崎市民ふれあい館



宿舎清水屋での交流歓迎会







韮崎ふるさと祭「土佐の日曜市」店舗開設土佐の物産市を開く




玄蕃踊り披露「商店街通りの会場」






韮崎ふるさと祭メイン会場 私達も壇上に上がり挨拶を行う

韮崎市市長に仁淀川町町長の親書を竹本企画課長が読み上げて渡しました。



韮崎を去る時が来ました「山本会長、小林副会長」バスまでお見送りにお土産
お世話になりました。又来ます。

「諏訪大社」上社正式参拝




諏訪大社門前にて祈念写真

長野県岡谷市諏訪小坂観音院「中島住職が出迎え」山門にて。





由布姫の慰霊塔「慰霊祭」を行った。






後は夕食諏訪神社の御柱木遣り保存会の余興
住職達も一緒に楽しい夜を過ごしました。





翌日は諏訪大社と御柱坂落としの場所に見学




この日は昼すぎから帰宅になりました。皆さんお疲れさん
帰りは夜中の12時を過ぎていました。

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信玄公生誕500年事業
信玄公生誕500年事業 親善調査研究に参加
2022年4月8日高遠城
高遠桜で有名、勝頼が生まれ城主だった城。
勝頼の弟、仁科盛信が武田家最後の激戦で玉砕した城です。
桜はまだ三分咲きと言う所でした。長野県の天然記念物「固有種で江戸彼岸桜」
今回調査に参加したメンバー武田勝頼土佐の会の会員達。

仁淀川町の「ひょうたん桜」と同じ蕾がひょうたんの形をしています。
勝頼達が落ち延びる時、桜の種を何らかの形で土佐まで持ってきたと考えられる。

鳳凰山願成寺にて、韮崎の「武田の里を守る会」の歓迎セレモニー
甲斐武田家発祥の地、武田信義が近くの武田八幡宮で元服式を行い神社を再建したと伝わって居る。
勝頼は甲斐を落ち延びる時御神体の「御正体」新羅三郎義光から武田信義まで4代12人の御魂を持ち出して土佐の仁淀川町大崎、大崎八幡宮に天正14年建立した時に奉納したと伝わる。
なお、武田八幡宮は今年創建1200年と大きな節目だそうだ。
願成寺山門の横に植えられた「ひょうたん桜」宇宙桜(桜は終わって葉桜になっていた)
写真後ろの桜ですが高さ5m位に育っています。

願成寺境内にある、武田信義の墓前で武田の里を守る会小林会長と一緒に写真
韮崎市民交流センターで桜の交歓会の時同席した方です。
下の写真はひょうたん桜に再開した記念写真樹高5m以上かと思います。
平成24年に韮崎で桜の交歓会を行った時を思い出します。

ひょうたん桜は語る リンク平成24年のブログ
平成24年のブログです前列右端が当時の小林さんです。

駐車場でのセレモニー再開に興奮気味でした資料やお土産まで感謝
(実は2時間も遅刻で、心の中は恥ずかしい限りです。お許し有れ)

武田信義公の墓前でのお話が弾む、隣は祈念写真(藤岡氏)

午後は武田神社に正式参拝
胸に勝頼の墓所「鳴玉神社」の遺影を抱き
<父上信玄公・・440年の時空を超えて勝頼・・代参>
と呼びかけ:玉串を奉納!!


全員、剣花菱家紋の陣羽織を着ての参拝。
此も心霊写真に成っていた。陣羽織の剣花菱家紋実は金色なのに前の私の陣羽織と同じ白色に透写されていた。
私の前(神前)にも白く輝く球が投影。

今日のお宿は富士山の見える所に行こう!
天気も良いし最高だね。
メンバーに富士山を見たことが無い者がいまして此のコースにしました。
道中、写真を撮りながらドライブ


お宿での窓からは逆さ富士が見えて良い思い出になりました。

夕食のメニュウーはバイキング方式 お腹いっぱいご馳走を頂きました。

4月9日甲府「信玄公生誕500年祭記念イベントに参加」
会場では前日お会いした韮崎の「武田の里を守る会」の皆さまに再会
武田花押の会の方達にも挨拶(以前高木さんと一緒に四国の武田氏について調査に来た「内田孝」さんに会う為でしたが今日は不在とのこと、花押の会の会長さんです。
四国を調査する時、車で案内同行した藤岡さんと会場に行くが?、岩本弘毅氏が対応頂いた。
内田氏の紹介で勝頼の墓所の扁額を書家の(淸水研石敏俔書)氏(第15代武田流花押伝承者)に書いて頂いた事がある。
会場の写真です。甲府駅前よっちょばれ広場にて。

会場での歴史映像「信茂と勝頼」が上映された。
小山田信茂映像コンテンツ「信茂と勝頼」の最終章上映。昼に一話から4話が放映された。
「信茂と勝頼」出演者トークショー
壇上 長崎知事、小林市長、脚本:三谷昌登様、
信茂役:後藤順平様(ジャルジャル)、勝頼役:植木祥平様
*都留市長の挨拶文が紹介された。
制作目的: 信茂を新たな見方で映像を制作し、地域間の微妙な感情のすれ違いを無くして信玄公の生誕を祝す機会にしたい。
甲府駅北口会場 
信茂は小山田信茂顕彰会の方々、対し勝頼は武田勝頼土佐の会の方々それぞれの応援に駆けつけた次第であります。
裏切り者の汚名を晴らす為・・・・またまた武田を滅ぼした愚弄の武将の汚名を晴らす為土佐から参上!
それぞれの歴史には、隠された秘密があり・・今其の秘密を解き明かす事の出来る時代に成ったのであります。
両雄の名誉挽回を果たそうと、後は作戦談義と大月市まで同行しました。
武田土佐の会との交流 18:00~21:00頃まで浜野屋にて
小山田信茂顕彰会: 松本主宰、小俣会長、武田副会長、溝口副会長、島崎副会長
武田勝頼土佐の会: 岡林会長 藤岡安道伊予アドバイザー 山﨑(女性)会員 山﨑・・会員


帰ってから小俣氏にメールで送った「信茂と勝頼」の真相はこうでは無いかと送ったメールから
私の私見として以下に述べさせて頂きます。
・勝頼をと言うよりは土佐まで同行した信勝、又は甲斐武田家の血統を残したいと家臣一同考えたと思います。一つ
・当初真田の郷、岩櫃城に逃げると決定した、此が真実で、岩殿城に変更したのはおとり作戦と私は思っております。二つ
・此からは、土屋氏や小山田氏達重臣達だけで、自分たちが犠牲になり戦を終結させ、武田の血統を守る為に影武者を造り演出したと思います。三つ
・女子供達が逃げられたのに信勝は何故逃げなかったのか、味方おも欺いた行動だったと思います。終結の場所「天目山」が必要だったと思います。四つ
故に、武田は鎌倉時代に土佐に地頭として武田信義の孫、一条次郎忠頼の子「秋通」を頼朝に因って派遣され後の香宗我部氏(長宗我部氏の弟)となっており、土佐の武田家系図には「香宗を頼る」と書かれて居ます。早い段階で土佐に逃れ長宗我部氏と共に再興を考えております。
長宗我部氏は関ヶ原で西軍に組みして改易と成り夢は潰えた思います。以後は歴史の影でひっそりと今日まで潜んでいたと思います。
*以上から考えても小山田信繁は逆臣(裏切り者)ではありません、むしろ(替え玉作戦)と、武田家(勝頼落人伝説)の真実が明らかになれば、其れは証明できると信じております。
以上のストーリーで映像が作られる時を切望しております。松本氏にも宜しくお伝え下さい。
何はともあれ、友情の証が今後を占う事を期待しましてお礼とご挨拶と致します。
武田勝頼土佐の会 会長 岡林照壽
4月10日(日)大月市を後に早朝出発
駿河の武田氏吉田町片岡町片岡「小山城」
大井川を挟んで武田家と徳川家が対峙した城「小山城」を探索
勘助井戸
続いて臨済宗妙心寺派「龍光寺」
突然の訪問で失礼しました。
丁度檀家さんの法要の最中で、住職さんと記念写真しか撮れませんでした。
帰ってからお手紙や資料を送らせて頂きました。
この龍光寺私の歴史小説「武田勝頼土佐に生く」の中では女子供達が隠れた寺で、後日勝頼達が合流して、船で土佐に吉田港から出発する場面が出てきますが、その場所です。
情報は駿河武田家の武田・・・氏から頂きました。
住職さんとの写真は「心霊写真」と成りました。

旅の最後に私と住職の足元に、武田家の御魂が歓迎してくれました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この旅は10数年の甲斐武田家と土佐武田家の交流の証です。
仲を取り持った「宇宙桜のひょうたん桜と今は亡き高木智朗氏」
桜に友情の証を感謝! 高木氏に哀悼の誠を捧げます。
韮崎市 武田の里を守る会(旧 勝頼新府にらさきの会)
大月市 小山田信茂顕彰会
仁淀川町 武田勝頼土佐の会
上記三団体の連携で「信玄公生誕500年祭事業」は終わり
令和4年(2022)4月7~10日 報告 岡林照壽
2022年4月8日高遠城
高遠桜で有名、勝頼が生まれ城主だった城。
勝頼の弟、仁科盛信が武田家最後の激戦で玉砕した城です。
桜はまだ三分咲きと言う所でした。長野県の天然記念物「固有種で江戸彼岸桜」
今回調査に参加したメンバー武田勝頼土佐の会の会員達。

仁淀川町の「ひょうたん桜」と同じ蕾がひょうたんの形をしています。
勝頼達が落ち延びる時、桜の種を何らかの形で土佐まで持ってきたと考えられる。

鳳凰山願成寺にて、韮崎の「武田の里を守る会」の歓迎セレモニー
甲斐武田家発祥の地、武田信義が近くの武田八幡宮で元服式を行い神社を再建したと伝わって居る。
勝頼は甲斐を落ち延びる時御神体の「御正体」新羅三郎義光から武田信義まで4代12人の御魂を持ち出して土佐の仁淀川町大崎、大崎八幡宮に天正14年建立した時に奉納したと伝わる。
なお、武田八幡宮は今年創建1200年と大きな節目だそうだ。
願成寺山門の横に植えられた「ひょうたん桜」宇宙桜(桜は終わって葉桜になっていた)
写真後ろの桜ですが高さ5m位に育っています。

願成寺境内にある、武田信義の墓前で武田の里を守る会小林会長と一緒に写真
韮崎市民交流センターで桜の交歓会の時同席した方です。
下の写真はひょうたん桜に再開した記念写真樹高5m以上かと思います。
平成24年に韮崎で桜の交歓会を行った時を思い出します。

ひょうたん桜は語る リンク平成24年のブログ
平成24年のブログです前列右端が当時の小林さんです。

駐車場でのセレモニー再開に興奮気味でした資料やお土産まで感謝
(実は2時間も遅刻で、心の中は恥ずかしい限りです。お許し有れ)

武田信義公の墓前でのお話が弾む、隣は祈念写真(藤岡氏)

午後は武田神社に正式参拝
胸に勝頼の墓所「鳴玉神社」の遺影を抱き
<父上信玄公・・440年の時空を超えて勝頼・・代参>
と呼びかけ:玉串を奉納!!


全員、剣花菱家紋の陣羽織を着ての参拝。
此も心霊写真に成っていた。陣羽織の剣花菱家紋実は金色なのに前の私の陣羽織と同じ白色に透写されていた。
私の前(神前)にも白く輝く球が投影。

今日のお宿は富士山の見える所に行こう!
天気も良いし最高だね。
メンバーに富士山を見たことが無い者がいまして此のコースにしました。
道中、写真を撮りながらドライブ



お宿での窓からは逆さ富士が見えて良い思い出になりました。

夕食のメニュウーはバイキング方式 お腹いっぱいご馳走を頂きました。

4月9日甲府「信玄公生誕500年祭記念イベントに参加」
会場では前日お会いした韮崎の「武田の里を守る会」の皆さまに再会
武田花押の会の方達にも挨拶(以前高木さんと一緒に四国の武田氏について調査に来た「内田孝」さんに会う為でしたが今日は不在とのこと、花押の会の会長さんです。
四国を調査する時、車で案内同行した藤岡さんと会場に行くが?、岩本弘毅氏が対応頂いた。
内田氏の紹介で勝頼の墓所の扁額を書家の(淸水研石敏俔書)氏(第15代武田流花押伝承者)に書いて頂いた事がある。
会場の写真です。甲府駅前よっちょばれ広場にて。






会場での歴史映像「信茂と勝頼」が上映された。
小山田信茂映像コンテンツ「信茂と勝頼」の最終章上映。昼に一話から4話が放映された。
「信茂と勝頼」出演者トークショー
壇上 長崎知事、小林市長、脚本:三谷昌登様、
信茂役:後藤順平様(ジャルジャル)、勝頼役:植木祥平様
*都留市長の挨拶文が紹介された。
制作目的: 信茂を新たな見方で映像を制作し、地域間の微妙な感情のすれ違いを無くして信玄公の生誕を祝す機会にしたい。


信茂は小山田信茂顕彰会の方々、対し勝頼は武田勝頼土佐の会の方々それぞれの応援に駆けつけた次第であります。
裏切り者の汚名を晴らす為・・・・またまた武田を滅ぼした愚弄の武将の汚名を晴らす為土佐から参上!
それぞれの歴史には、隠された秘密があり・・今其の秘密を解き明かす事の出来る時代に成ったのであります。
両雄の名誉挽回を果たそうと、後は作戦談義と大月市まで同行しました。
武田土佐の会との交流 18:00~21:00頃まで浜野屋にて
小山田信茂顕彰会: 松本主宰、小俣会長、武田副会長、溝口副会長、島崎副会長
武田勝頼土佐の会: 岡林会長 藤岡安道伊予アドバイザー 山﨑(女性)会員 山﨑・・会員





帰ってから小俣氏にメールで送った「信茂と勝頼」の真相はこうでは無いかと送ったメールから
私の私見として以下に述べさせて頂きます。
・勝頼をと言うよりは土佐まで同行した信勝、又は甲斐武田家の血統を残したいと家臣一同考えたと思います。一つ
・当初真田の郷、岩櫃城に逃げると決定した、此が真実で、岩殿城に変更したのはおとり作戦と私は思っております。二つ
・此からは、土屋氏や小山田氏達重臣達だけで、自分たちが犠牲になり戦を終結させ、武田の血統を守る為に影武者を造り演出したと思います。三つ
・女子供達が逃げられたのに信勝は何故逃げなかったのか、味方おも欺いた行動だったと思います。終結の場所「天目山」が必要だったと思います。四つ
故に、武田は鎌倉時代に土佐に地頭として武田信義の孫、一条次郎忠頼の子「秋通」を頼朝に因って派遣され後の香宗我部氏(長宗我部氏の弟)となっており、土佐の武田家系図には「香宗を頼る」と書かれて居ます。早い段階で土佐に逃れ長宗我部氏と共に再興を考えております。
長宗我部氏は関ヶ原で西軍に組みして改易と成り夢は潰えた思います。以後は歴史の影でひっそりと今日まで潜んでいたと思います。
*以上から考えても小山田信繁は逆臣(裏切り者)ではありません、むしろ(替え玉作戦)と、武田家(勝頼落人伝説)の真実が明らかになれば、其れは証明できると信じております。
以上のストーリーで映像が作られる時を切望しております。松本氏にも宜しくお伝え下さい。
何はともあれ、友情の証が今後を占う事を期待しましてお礼とご挨拶と致します。
武田勝頼土佐の会 会長 岡林照壽
4月10日(日)大月市を後に早朝出発
駿河の武田氏吉田町片岡町片岡「小山城」
大井川を挟んで武田家と徳川家が対峙した城「小山城」を探索


続いて臨済宗妙心寺派「龍光寺」
突然の訪問で失礼しました。
丁度檀家さんの法要の最中で、住職さんと記念写真しか撮れませんでした。
帰ってからお手紙や資料を送らせて頂きました。
この龍光寺私の歴史小説「武田勝頼土佐に生く」の中では女子供達が隠れた寺で、後日勝頼達が合流して、船で土佐に吉田港から出発する場面が出てきますが、その場所です。
情報は駿河武田家の武田・・・氏から頂きました。

住職さんとの写真は「心霊写真」と成りました。

旅の最後に私と住職の足元に、武田家の御魂が歓迎してくれました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この旅は10数年の甲斐武田家と土佐武田家の交流の証です。
仲を取り持った「宇宙桜のひょうたん桜と今は亡き高木智朗氏」
桜に友情の証を感謝! 高木氏に哀悼の誠を捧げます。
韮崎市 武田の里を守る会(旧 勝頼新府にらさきの会)
大月市 小山田信茂顕彰会
仁淀川町 武田勝頼土佐の会
上記三団体の連携で「信玄公生誕500年祭事業」は終わり
令和4年(2022)4月7~10日 報告 岡林照壽
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